2010年3月23日火曜日
感謝の心は自分を大切にする気持ちから。
こどもを自転車に乗せて、人質にしたように「来るなら来い、こっちはこども連れだ!」と赤信号も無視して走行する母親も少なくありません。これって児童虐待の一種ではないでしょうか?そんなこともあって一概に、「親に感謝しなければいけませんよ」と言うのが怖いこの頃です。
それでも無事に生きていることから推察すると、たいていの方は親に育ててもらっています。
ところで、親に育ててもらったことを感謝していますか。それとも、親が子どもを育てるのは当たり前と思っていますか。
自分のことは後回し、物を買うにも自分のものは後回しにして、寒い日、暑い日、身体が不調であっても、真夜中に泣いていた赤ん坊のために、身を起しミルクを与え、身体を拭き、肌着を交換してくれました。
なぜでしょう?
赤ん坊を守りたいと思ったからです。
学校の先生、上司、先輩に対してはどうでしょうか?教えてくれるのは当たり前、仕事を教えてくれるのは当たり前、あれこれ世話を焼いてくれるのは当たり前、と思っていますか。あるいは、いろいろ教えてもらい、ケアしてもらったことに感謝していますか。
当然と思ってきた、あるいは意識しなかったアレコレの向こう側には、犠牲を払い、悩みながら、たくさんの贈り物をしてくれた人がいます。時には自信を失い死ぬことさえ考えた人がいます。
地球なしには生きて行けない人間は、生きる権利を地球から授かっています。権利を受ける側は、なにがしかの迷惑を相手にかけています。その上、便利と引き換えに膨大なゴミを出し、きれいな水を汚しています。実はとんでもないことをしているのです。
共同体における親子の関係、上司と部下の関係も同じことが言えます。生徒は先生に、後輩は先輩に、部下は上司に、なにかとめんどうをかけ、手をわずらわせています。同じ仕組みです。
迷惑をかけた、めんどうをかけた、世話になった、という気持ちが自分にあれば、感謝の心が生まれるはずです。「ありがとうございます」という感謝の言葉が出てくるはずです。
それを自分で意識し、考えること、思うことができるのが大人、つまり社会人です。
社会人とは、共同体(コミュニティ)に対して責任を果たせるということです。一番身近な共同体は「家族」です。「夫婦」は一番小さな共同体です。そこからさらに外の世界に出て行くと、友人、近所、地域、都道府県、国、地球というように広がって行きます。これらはどれも共同体です。
上司に叱られても、自分はいま育てられているのだと感じたら、自然に不満の感情は消え、「ありがとうございます」と言えます。注意してくれた相手の気苦労を思うと、自分は大切にされていると感じることができます。勇気はそこから湧いてきます。勇気の力はとても大きいもので、自分になにがあっても大丈夫だと感じさせてくれます。
感謝の心とは、面倒をかけた、世話になった、迷惑をかけた他者への気配りです。その気配りの心は良い人間関係をつくります。なぜでしょう?
ありがたく思うから人間関係がよくなるわけではないのです。自分は大切にされていると感じることができると、他者も大切にしてあげたい、他者も大切にされるべきだと思うようになれるからです。つまり気配りしたくなるのです。
ですから自分は大切にされていると感じることができないままに、感謝の気持ちを持つには無理があります。意味のない競争心や敵意ばかりが強化されてしまいます。大切にされていないと感じるのは、自分の気持ちに注目、集中してしまうからです。
自分に関わってくれた人々への迷惑をかけた、面倒をかけた、世話になった、という気持ちに目がいかないからです。本当に人間とはおかしなもので、自分の気持ちに集中するほど不満が増えていきます。
大切にするのと、支配することを混同している人が少なくありません。大切にするとはその人をそのまま受け入れ、能力を引き出してあげることです。支配はその人をそのまま受け入れずに自分の思うように扱おうとする態度、行動です。
赤ん坊が夜中に泣いても文句も言わずに「よしよし」とあやすのは、泣いているこどもをそのまま受け入れ、さらに何があったのか心配しているからできるのです。
育てる態度とは、めくってもめくってもGIVE&GIVEしかないカレンダーを作ることです。赤ん坊が泣いていたら、うるさいと叩くのは支配です。私たちは成人同士であっても、これと同じ場面に頻繁に出会います。どんな行動をするべきか、その選択は自分でしています。
冒頭で述べた、人質にしたように、自分のこどもを自転車に乗せて、赤信号くそくらえで、走行する車に向かってくる母親は、危機への配慮が足りないのです。配慮が足りないのは、自分の気持ちだけに集中しているからです。
その一方で、大切にされていないことをこどもは肌で感じています。成人なったときに他人を乱暴に扱います。”粗末にしていい”というデータしかないからです。人を大切にしなくていいという考え方の連鎖が社会問題になっているのです。
お客さま、上司、先輩に叱られたときに、是非考えてみてください。叱っている人が正しいときもあるし、間違っているときもあります。自分は間違っていない、叱っているこの人が間違っていると思うのは、自分に集中するからです。
感謝する気持ちを使って相手に注目したら、間違っている相手からは相手の痛みが見えるだけです。間違っていることよりも、相手の痛みが気になります。痛みへの気配りができます。気配りと引き換えに自分を大切にしたい気持ちが強くなります。感謝の心は相手への気配りですが、結果的に自分への気配りになるのです。
マートワン
【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
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