2011年12月17日土曜日

幸福な成功を実現する3つの焦点



 ある人が、ある言葉を聞いたとき、その言葉に1億円出すだけの価値があると言いました。同じ言葉をある人が聞いたとき、無関心、無感動のままでした。
その言葉とは「 できるまでやれば、必ずできる。」というものです。
どうして、同じことを聞いても、観ても、人によって反応はさまざまです。
そして実際に「1億円出すだけの価値がある」と言った人は、その何倍もの利益を得ることに成功しました。無関心、無感動のままだった人には何に変化も起こりませんでした。



この図のように、商品サービスを支えているのは、知識・技術ですが、知識・技術にも違いがあります。その原因は価値観や考え方による影響が大で、優れた知識・技術は優れた価値観や考え方に比例しています。価値観や考え方のバックボーンには人間力といってもいい、人それぞれのあるべき姿があります。
人それぞれのあるべき姿は、人の資質の違いといってもいいものですが、仕事を通して強くしてもらいたい、応援してあげたいと思います。なぜなら資質を高めることは幸福の必須条件だからです。
 なにをやるかに右往左往している時代は終わり去りました。何のために、どんな生き方をするのかひとりひとりにとって重要な時代になると予測します。みんなが一定の方法に向かって流れて行く時代は終わり、生き抜くためにけもの道を走り抜けてサバイバルする時代に突入したのです。
私にも、日本人みんなにとっても、大変厳しい時代ですが、私たちには無限の可能性があります。私たちは幸福な成功を実現する可能性があります。しかし可能性を現実にできる人と、永遠にできない人がいるのも事実です。
 可能性を現実にできる人と、できない人はどこが違うのか、話したいと思います。
まず、私たちは努力すればいいというものではなく、自分たちにできることとできないことがあることを認識しておきたいと思います。
判断、選択、決断、実行というものは自分たちにできることです。決断は人間が持っている最大のエネルギーであり、選択の自由の表れです。私たちには夢を選ぶことができます。行動することを選ぶことができます。あきらめないことを選ぶことができます。それらの選択は、私たちの手の中にあります。
しかし、私たちにできないこともあります。
他人に主体性があることは、他人が判断、選択、決断、実行することなので、影響を与えることは出来ても、私たちにはできません。たとえば自然環境がその例です。
ですから、まず第一の焦点を合わす時には、自分にできることに合わすようにします。これは重要なコツです。
第二の焦点は、実現したい、達成したいというようにポジティブな面に合わすことです。自分にはできそうにない。無理だと思うと言ったネガティブな面に焦点を合わすと、できることでもできなくなります。人に2面性があることは仕方ないことですが、ネガティブな面が何かを成し遂げる勇気になることはないのです。
ですから、焦点は、自分にできること、つまり主体性が自分にあることにポジティブに取り組むことにピントを合わせます。自分に主体性がないことにポジティブに取り組んでも、自分の主体性があってもネガティブに取り組んだらうまくいくはずがありません。ピント合わせましょう。
うまくやるには、もうひとつ重要なことがあります。
最初にお話した「出来るまであきらめない」という真理です。
つまり、よくいう PLAN~DO~CHECK~ACTIONです。
それは無理だという人もいます。
出来るという人は「出来るまであきらめない」といいます。
難しい、できないという人は「うまくいかなかった」といいます。
真実の答えはこの違いにあります。
できるまであきらめない人は、うまくいかなった経験をたくさんした挙げ句、できたと話しています。
うまくいかなかった人は、うまくいかないどこかであきらめています。
この違いはなにかと考えると結局、DOと BEの問題です。TO DO 自分はなにをするかに意識がある人と、TO BE 自分は何者であるかに意識がある人の違いだと分かります。
実際には何をするか、TO DO よりも、「何者であるか」 TO BE のほうが遥かに大切なのです。
どうしてかと説明すると、人は思ったようにうまくいかない、それが実現できない場合、あきらめやすくなります。あるいは他人や環境のせいにして、投げやりになり、いい加減に生きてしまう場合もあります。DOには主体性のないことに焦点を合わせてしまう危険があるのです。
しかしどのように生きるか、どのような人間であるか はあなたが自分の意思で自由に選択して、決めることができます。これがTO BE 人間力の強さなのです。やりたいことができないからといって決して投げ出すことはないのです。投げ出すことは自分の気持ちに反するからです。
目標を達成するのが自分に生き方だと考える人は、PDCA が生き抜くための知恵になります。水や太陽、食べ物に匹敵するエネルギーになります。うまくいくまで使い続けます。
しかし、PDCA を技術と考えて、使ってみょうと考えた人は、それがうまくいかないと投げ出してしまいやってもうまくいかないと言って終わりにします。
うまくいかないという点では両者は同じ体験していますが、目標を達成するのが自分の生き方である人は困難を超えないと自分への裏切りでしかありません。自分はこんなことでへこたれる人間ではないと考えます。挫折は自分の否定なので、何としてでも克服しようとします。そこではなにをするのかという問題は論外なのです。仕事を通して自分を高めていく唯一の方法なのです。
一方、何をするかにこだわる人は、そのやり方がいいか、悪いかの評価になり、さらにうまくいくか、いかないかで判断基準になるので、うまくいかないとやめてしまい、それで終わります。毎月やりかけては、投げ出している人もいるのが現実です。モロい人は焦点のズレとルールを知らないままなのです。一刻もはやくもっと楽しい世界に連れて行きたい。
二つの取り組み方は、見た目は同じように見えますが、焦点の合わせ方に決定的な違いがあります。
「自分は何者か」に焦点を合わせた者は、「できること×ポジティブ×自分は何者」というように3つの焦点にピントを合わせて、自分に主体性のあることにポジティブな考えで、自分という人間の存在価値をかけて取り組むのです。だから「できるまでやれば必ずできる」という言葉が血のように自分の体内をかけめぐ、エネルギーになります。
超高速で変化する時代に、どちらが大事かというと、 DOより BEが大事なことは明白です。
できない人は「できないこと×ネガティブ×なにをするか」というように、すぐに挫折する要因に焦点を合わせているのが大半です。
たとえば既存のお客様を維持するコストと新規のお客様を獲得するコストでは、断然新規にかかるコストの方が上回るというのは、マーケティングではすでに明らかな事実として広く知られています。
お客様に、すべての小売り・サービス業のどこにもない満足を提供するのは生き方の問題であるか、単なるするべきことのひとつとしてサービスをするのか、その違いでお客様の数も、購買頻度も、コストも変わってきます。
お客様に安心していただけるホスピタリティというものは、価値観でも、知識でも技術でも、サービスでもありません。人に対する生き様なのです。命令によってできることではなく、ひとりひとりの価値観の前提である自分のあり方、生き方から生まれるものでしょう。
それを知り抜いた企業体では、上司・部下という従来の縦型組織を自ら破壊して、互いに研鑽し、教え合う自律的な横一線の組織体にしています。一見遠回りで合理的でないようにように見えるこのような発想は顧客と向き合う真実の瞬間から逆算すればもっとも合理的なことは自明の理です。さらに一旦メカニズムが動き出すとマジックのように強力です。
仕事の仕方は生き方から生まれ、仕事を通して生き方が確信に変わって行くのです。そこにその職場にしかない働きがい、やりがいが生まれるのです
その象徴が、PDCAであると言っても過言ではないのです。

2011年12月13日火曜日

幸福生産性 私は誰?何をする人?それこそが未来を開く扉




人にはできることとできないことがあります。
一つ目は、自分に主体性のあることはできますが、自分にないことはできません。
たとえば選択することは自分にできますが、天気を変えることはできません。

それを拡大すると、二つ目のポイントが見えてきます。
二つ目は、焦点の合わせ方でできることとできないことが生まれるということです。
どうしてもやり遂げたいポジティブな気持ちに焦点を合わせると、実現を引き寄せていけるようになります。反対に自分にはできないというネガティブな気持ちに焦点を合わせると、できなくなってしまいます。

こういう基本的なことは、とても大事で、ついつい忘れがちになり、間違った努力をしたり、するべき努力をしないことになります。


ところで、誰にでも、必ず目的、目標が達成できる方法があるといいます。
それを実行してやり遂げた人、やり遂げている会社があります。
その方法に、ある人は1億円出しても値打ちがあると言ったそうです。
ある人は気にもしなかったそうです。
その違いは何だったのでしょうか?

それは「出来るまであきらめない」という言葉です。
つまり、よくいう PLAN~DO~CHECK~ACTIONです。

PDCAは、やってもできないよ、無理だという人もいます。
出来るという人は「出来るまであきらめない」といいます。
難しい、できないという人は「うまくいかなかった」といいます。
真実の答えはこの違いにあります。

できるまであきらめない人は、うまくいかなった経験をたくさんした挙げ句、できたと話しています。
うまくいかなかった人は、うまくいかないどこかであきらめています。

この違いはなにかと考えると結局、自分はなにをするかに意識がある人と、自分は何者であるかに意識がある人の違いだと分かります。
実際には、何をするかよりも「何者であるか」のほうが遥かに大切なのです。

思ったようにうまくいかないとそれが実現できない場合、あきらめやすくなります。
あるいは投げやりになり、いい加減に生きてしまう場合もあります。
しかしどのように生きるか、どのような人間であるかは、あなたが自分の意思で自由に決めることができます。それができないからといって投げ出すことはないのです。投げ出すことは自分の生き方に反するからです。
目標を達成するのが自分に生き方だと考える人は、PDCA が生き抜くための知恵になります。水や太陽、食べ物に匹敵するエネルギーになります。うまくいくまで使い続けます。

しかし、PDCA を使えばうまくいくと考えた人は、それがうまくいかないと投げ出してしまい、やってもうまくいかないと言って終わりにします。

うまくいかないという点では両者は同じ体験していますが、目標を達成するのが自分の生き方である人は障害を超えないと自分への裏切りになってしまうので、挫折は自分の否定になるので越えようとします。そこではなにをするのかという問題は大したことではないのです。

一方、何をするかにこだわる人は、そのやり方がいいか、悪いかが評価の焦点になり、判断基準になるので、うまくいかないとやめてしまい、それで終わります。

二つの取り組み方は、見た目は同じように見えます。しかし実際には大きな違いがあります。焦点の合わせ方に決定的な違いがあります。「自分は何者か」に焦点を合わせた者と、「何をやるか」に焦点を合わせた者の違いがあります。

超高速で変化する時代に、どちらが大事かというと、 DOより BEが大事なことは明白です。

たとえば既存のお客様を維持するコストと新規のお客様を獲得するコストでは、断然新規にかかるコストの方が上回るというのは、マーケティングではすでに明らかな事実として広く知られています。
お客様に、すべての小売り・サービス業のどこにもない満足を提供するのは生き方の問題であるか、単なるするべきことのひとつとしてサービスをするのか、その違いでお客様の数も、購買頻度も、コストも変わってきます。

たとえばホスピタリティ、おもてなしというものは、命令によってできることではなく、ひとりひとりの価値観の前提である自分のあり方、生き方から生まれるものでしょう。
それを知り抜いた企業体では、上司・部下という従来の縦型組織を自ら破壊して、互いに研鑽し、教え合う自律的な横一線の組織体にしています。

一見遠回りで合理的でないように見えるこのような発想は顧客と向き合う真実の瞬間から逆算すればもっとも合理的なことは自明の理です。個人それぞれのあり方が尊重された上で、企業の価値観で束ねられるので、 やらされ感がなく、主体的にかかわっていくからです。つまり仕事の仕方を改善することは自分を深めることに他ならない仕組みになっています。

このような仕組みでは一旦メカニズムが動き出すとマジックのように強力です。仕事の仕方は生き方から生まれ、仕事を通して生き方が確信に変わって行くのです。そこにその職場にしかない働きがい、やりがいが生まれるのです。

そこで、まず問題になるのは、自分のあり方にこだわりをある人材をどのようにして集めるのか、なによりどのようにして、まず自分自身が即物的な人間にならず、あり方にこだわる人間になるのかという問題です。
その原点が、幸福な成功です。幸福な成功とは、お金やモノで幸福になれない。しかしお金やモノがなければ暮らしていけないという現実。つまり現実的な幸福を手に入れることにフローになって取り組むことが最初の一歩なのです。モノがない時代から始まった生産性の追求ではなく、幸福生産性の追求へのチェンジなのです。

幸か不幸か、いまの日本社会は完全に行き詰まり状態です。 高齢化社会、 貧富の差、知性の差、見通しの立たない財政難が抱える年金、介護、福祉の破綻、ネガティブにならずとも、少し先には悲惨と思える状態が待ち受けていることは明白です。

なにをやるかに右往左往している時代は終わり去りました。
何のために、どんな生き方をするのかひとりひとりにとって重要な時代。
みんなが一定の方法に向かって流れて行く時代は終わり、生き抜くために、自分を信じてけもの道を走り抜けてサバイバルする時代。

その象徴が、幸福生産性であり、それを引き寄せるPDCAと、ツールを操る担い手であるあなたなのです。私は誰?何をする人?それこそが未来を開く扉なのです。



2011年11月19日土曜日

それにしても、なぜマニュアルレス。なぜマニュアル



電化製品を購入するとマニュアルが付帯しています。機械的な操作をするためのマニュアルとサービス業のようにコミュニケーションするためのマニュアルの間には、使う人の意識に違いがあるのが普通です。

良好な人間関係を築く現場、自律した活動が要求される職場では、マニュアルはあくまで補助的なものです。
マニュアルレスを標榜する時代に、いまどきマニュアル通りなんてナンセンスという声もありますが、言葉でやりとりをした場合、10人に話せば10回とも違う、10通りの内容の伝達が起こるのが現実です。

このような問題があちらこちらに潜伏しているのも事実、文字は伝達の限界を越えるときに、マニュアルは力を発揮します。

マニュアルの効用は報酬面にもあります。自分のランクアップと報酬が連動している仕組みでは、マニュアルの○番~○番まではクリアできた。あと○番~○番までクリアすれば賃金アップになると知っていると、モチベーションアップになります。本人が現在のポジションを知り、成果への距離をイメージする点でも効果的です。

上手に使えば競争力、人材育成、コストパフォーマンスで効果を発揮しますが、ヘタに使うと同じ点でデメリットにもなります。

マニュアルレスの自律型マネジメントがもっともおすすめですが、安直な「だからマニュアルはダメなんだよね」ではなく、マニュアルの功罪を知って、活用できるようになることが欠かせません。



マニュアルの定義

●マニュアルとは、作業の正しい手順を指示する書類のこと。
●作業の観察と検証を繰り返した結果、最も良いと判断した手順を基準の作業手順に設定し
●予め用意した指示書及び指示の方法を示した
●工夫の限りを尽くした手順であること
●それはより確実に、より楽な気分で、仕事を進められることを目的としていて、
●指示された通りに活動するのが仕事であり、報酬の第一歩です。
●マニュアルは報酬の入口とポジショニングし、努力目標として活用できる職場環境の整備と一体でないと機能しないものです。
●マニュアルは報酬の辞書、マニュアルレスは辞書なしで仕事できるスキルです。


標準化を進めるマニュアル

●マニュアルは行動についての規格です。
●その普及を継続的に行うものです。
●定期的な規格の修正と追加が欠かせません。
●繰り返し徹底することで、プロセスすべてが生きてきます。


努力目標とマニュアルのポジショニング

●マニュアルは作業の効率化を追求していますが、手順を示したものでしかありません。つまりマニュアルの活用が実際に起こるには、正しい作業をしなければならないのです。あるいはしたいという環境がなければ絵に描いた餅でしかありません。

●使われないという声が出る職場、マニュアル通りに作業しなさいという指示が通用しない職場、これらは労務管理の破綻が生じていることを意味します。

●使いこなそうとする「努力目標」なしに、マニュアルは定着しません。ですからマニュアルは評価尺度、報酬の算定基準、教育のカリキュラムと三位一体に連動させることが合理的な努力目標になります。

●「NO1~24 のマニュアルは基準通り、あるいは以上に使いこなせるが、No25~30のマニュアルは使いこなせない、 あといくら報酬を増やしたければNO6 のマニュアルを使いこなせるようになりなさい」と具体的で達成感のある努力目標を説明でき、相談に乗ってやれる環境の整備が必要です。
スタッフ個々のパフォーマンスと報酬とのマッチングが欠かせません。この場合、 注意したいのは、 評価尺度、報酬算定の基準は本社で用意したが、指導のルールと併せて教育カリキュラムとして現場で使用しない問題です。実は結構多い。この拡大版が「成果主義導入したもののうまくいかない悩み」なのです。

●「指示された通りに活動するのが仕事であり、報酬のはじまり」というのが管理者と部下の原点です。

●勝手にこれが仕事と思うことをしている会社(実際にこのように言うことがなくても、現実になっている組織は少なくありません)では、マニュアル、マニュアルレス以前の問題を解決しなkればなりません。

●問題は指導される側より指導する側で起こっている場合の方が多いのです。


マニュアルとマニュアルレスの関係

●マニュアルは、正しい作業手順についての一定の段階までは、絶対的な条件や方法を示すものですが、その後はいくらでも能力向上が出来るものであることを明確に伝えておき、全員が認識しておく必要があります。

●これは 評価尺度、報酬の算定基準、教育のカリキュラムの三位一体を整備すればいいということではなく、なにを目的として、どうなれば目的の達成なのか明確でないと実現できません。 「マニュアル人間」と蔑視されるような接客態度は、この認識不足と教育不足によって起こっていることが表れたことを意味します。


どうなれば目標達成なのか

自律心を育み、自律型マネジメントがトップの思うような状態で実現できることです。ここでいう「無始無終」の概念を理解していただけたらと思います。


指導のルール

●「いまこの瞬間」に集中できるスキルを身につけることをめざす
●挑戦させる
●怖がらない
●気後れさせない
●プロセスに注目し、プロセスの行動を称賛する
●失敗や挫折を責めない(2度同じ失敗は別)
挑戦しない人を徹底的にマイナス評価する
●育成中の評価の最大の尺度は結果よりも「プロセス」で行う
●できない理由よりできるやり方を課題にする
「○○しないからできません」ではなく、「○○すればできる」と表現させる
●「なぜ?」よりも「どうしたら?」と訊く
「できない理由」 に 会社の風土が露骨に表れている


マニュアルは自律型マネジメントの補助として正しく運用する。

野球とサッカーでは、指示のタイミングがまるで違います。野球は一球ごとに指示が出せますが、サッカーはまとまりに対してしか出せないスポーツです。一度ピッチに入ればベンチからは指示できません。選手同士が「あうん」の呼吸で動きます。
自律型マネジメントは、サッカーと同じです。

もし、どちらでも選べるとした場合、あなたはどちらを選びますか?

●顧客の期待と要求レネルがあがっている現在、2010年代に必要なマネジメントは、個人の主体性に任せるサッカー型なのです。そこにはひとりひとりの輝きが期待できます。機械ではなくひとりひとりの個の発見を通して、心を通わせて行くプロセスがあります。マニュアルから解き放たれた自由の一方で自分が責任をとるというプレッシャーがあります。それを自覚できない者にはマニュアルに束縛されます。

●しかしプレッシャーと向かい合って、決めたことを責任をもって自分がやり遂げるとき、満足感は自分にダイレクトに返ってきます。打てば響く実感を個々がお客さまとともに感じることができます。共同体に鐘が鳴り響く瞬間を迎えます。自分から自分へ、自分から他者へ、他者から自分へ継承され続ける限り、始まりも終わりもなく、心地よく鐘は鳴り響き笑顔がこぼれます。

●自分の判断でなく、マニュアルに定めてあることをただそのまま接客するのと比べて、人が自分で判断して接客していると自然な印象を受けるものです。「挨拶をして普通に会話したらできるはず。」・・・経営者なら誰でもそう思います。しかしそれを励行しようとしたら、できないので、マニュアル通りにやるしかないと判断してマニュアル全盛になったのです。さらに企業内成功者が成功体験をもとに効率を求めて水平展開したことが、マニュアル全盛になりました。

●マニュアルやルールにがんじがらめにされて働いている人には、任されることをうらやましく思う人がいたりします。一方、お客さまはマニュアル通りにする姿を見て侘しさを覚えながらも、マニュアル通りに実行できている姿に畏敬の念を覚えることも事実です。


(サービス業の場合)マニュアルと接客の関係

●マニュアルと接客の関係は大別すると以下の4通りになります。

【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる
【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

●マニュアルレスで自分の裁量で判断できることの喜びとやりがいは大きいのですが、そこには責任が必ずついて回ります。そこを自覚できない限り、マニュアルをなくすことはできません。

●マニュアルを使っても、その通りできないというのは、マネジメントが機能していないことを意味しています。他に理由はありません。

「こうしてください」と決められたマニュァルがないということは、自由ということではなく、最良の方法を考えて実行しなさいという権限委譲の精神が実行されている証明です。任せる側と任される側の信頼関係が大切ですし、何がベストであるかを判断する良心と良識が求められます。マニュアルがなく、各自これが仕事だと思うことをしているので、マネジャーは苛立ち、個別に攻撃をするというのは、マネジメントを間違えています。

【パターン1】と【パターン4】の間では、なにがどう違うのでしょうか?
結果に辿り着く道筋があるのと、ないのとの違いです。
努力していたらどうにかなるという話ではありません。
いくら努力しても、方法が間違っていたらなりません。
だからマニュアルを作って導入しても、思うようになるところとならないとこrが出てきます。

【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる

両者には共通する点がありますが、以下のパターンには共通する点がありません。
【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

この両者には、マネジメントできない点で、共通するものがあります。

マネジメントとは決めたことを決めた通りに実行することです。マニュアルレスで最高の接客を実行すると決めたら、そうするのがマネジメントです。マニュアルがないからマネジメントがないわけではありません。マネジメントする立場、される立場共にマニュアルがあり、ルールがはっきりしている方が、仕事はやりやすく楽な場合が多いのが実態です。

10円のものを売っていてもブランドは作れます。1000万円のものを売っていてもブランドは作れません。作れない者には作れないのです。ブランドとは生き様、仕事の仕方が商品に与えている影響の大きさと品質の確かさです。



多様な価値観が混在する集団が、そこに人を介在させてブランドを築くとは、個人それぞれの自分のあり方を仕事の標準化を通して基準化します。

これはすごいことです。マニュアルなしに実現するには、ひとり残らず個人のパフォーマンスを最高レベルに引き上げることでしか標準化できません。「こんなものでしょう」と途中でお茶を濁すことを認めない文化と仕組みがないとできません。だから「ブランド」になります。これが仕事だろうと各自が勝手に判断する世界とは対極にあります。

個々の作業の仕方は個人の良心と良識に任せるが、良心と良識では一致していることが絶対条件になる世界。

マニュアルの世界はここが反対なのです。作業の仕方は絶対に遵守だが、個人の良心と良識は問わない。分りやすくするために、極端な言い方をすると、もともと個人の良心と良識をあてにしていないのが、マニュアルの世界です。

人を信用できない、そんなことに時間を費やすのは効率的ではないとして、作業さえ間違いがなければクレームは出ないという世界です。

マニュアルレスのマネジメントは、もっとポジティブです。クレーム防止ではなく、感動を起こす最高のものを届ける。その態度がお客さまに伝わっている限り、クレームが出る確率は低く、称賛を獲得できるという英断を背景にしています。全員が自分でよしと思うことを自分で考え行動することでチームワークを実現する仕組みです。ファストフード、コンビニエンスストァ、スーパーマーケットの膨大なマニュアルに比べるとすごく少ない世界でありながら、逆にそれを越えるものを提供する野心に満ちた世界です。

それは先にあげた野球とサッカーの違いといえます。では信頼関係に欠かせないスキルとは、どういうものでしょうか。

次にスターバックスが掲げているスキルについて考えてみましょう。
1) 自分への信頼感を高めるスキル
2) 人の話をよく聴くスキル
3) サポートを求める

まず、自分への信頼感を高める。これは自己肯定するスキルです。自尊感情を高めることは一般には楽なことではありませんが、ライフスキルずべてに影響する最も重要なスキルで、次のスキルを高める上でもどうしても必要なスキルです。
人の話をよく聴く。傾聴するとは、ただ話を聴くではなく、こころを感じ取るスキルが問われています。相手に話しやすいようにしてあげることが、結果的に聴きやすい状態を作りますので、自分の聴く態度が問われます。さらに言葉の向こうにある相手の心を感じ取るには、自意識が高くては聴き取れません。自意識が高くなるのは自尊感情が低いからです。そこで自己肯定するスキルが必要になります。

チームワークを機能させるには、自分の役割を果たせることが必須条件です。サポートを求めるスキルは、互いに支え合うという意味を含んでいますが、これが甘えでなく自立心になるのは、自分への信頼感を高めて、チームワークを機能させる意志、つまり自立への意志が機能しているからです。

裏返すと、空虚な見栄や空威張りに終始して、自立しようとしないから、サポートを求める必要がなく、誰の役にも立たない自意識だけが強化され続け、自分への信頼感を弱めます。それを正当化するためには、依存体質を強化せざるを得ないので、ますます自立しようとしなくなり、自分は万事順調、問題は状況と環境にありとして、サポートを求めません。結局、日頃から、なにを問題にしているかの違いから、どんどん自分が成長する職場と、逆に全く成長しない職場ができあがるということです。

自分の人生は自分の選択と行動で変化します。世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。ノードストロームにしても、店というチームは自分でよしと思うことを自分で考え行動する自律型マネジメントによって顧客を惹き付けているのです。

他社との差別化要因の切り札になっているのは、いくつかの信頼関係に他なりません。

・ 仲間との信頼関係
・ お客さまとの信頼関係

それを実現しているのが
・ 自分との信頼関係
なのです。

つまり、それは個人の問題と切り捨てるか、共同体の問題と考えるか、ひとへのまなざしのあり方が最終的に利益のもっとも大きな要因になっているのです。そして、7つのゴールデンルールは、自分との信頼関係、つまり自尊感情を高めるためのものです。

● 自分と周囲の人を尊重し励ます
● プロセスに注目する 
● 決めたことは責任をとる
● できるまでやる
● いまこの瞬間に集中する
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
● 感情的な行動をしない

混迷の時代にあって、良心と良識が問われています。

2011年11月14日月曜日

幸福生産性


あらゆる分野で、すでに使い物にならなくなったやり方に執着して沈んで行く一方の会社がたくさんあります。このような会社は変化を嫌い、状況をコントロールしようとしますが、人間にはできることとできないことがあります。どんな場合でも、誰でもコントロールできるのは自分自身だけです。コントロールできないことに時間を費やす愚行をしないで、自分を変化させることに積極的になる必要があります。そして変化について考えるとき、行動するとき、注意したいことがあります。

私たちは、複雑化する経済、高度に専門分化の進んだ時代を生きています。サブプライムローンが示すように、複雑さの代表である金融機関のようにIQが高くないと利益をあげるのが難しい時代になっています。

しかし仕事とは、働くとは、そんなにも複雑で難しいことなのでしょうか? もっとシンプルに考えてみましょう。

ビジネスの原型は、物々交換です。たとえば魚を採るのが得意な人と、鳥を捕るのが得意な人の聞で、魚と鳥を交換する。やがて物々交換では不便なので、お金を媒介にして交換するようになりましたが、原始の時代から本質は変わっていません。

自分の得意分野を活かして、誰かが必要としている物を作ったり、誰かに喜んでもらえることをしたりして、その対価を受け取る。つまり「幸せの交換ごっこ」がビジネスの本来の姿です。

たったそれだけのシンプルなことが年々、どんどんと複雑になるのは、利益を得る方法が複雑化しているだけで、人間を幸せにするために複雑化しているわけではありません。全く違う次元のことを同じ次元で考えるため、混乱してしまうのです。

ギスギスするばかりの近年と比べて「昭和は良かった」という人が増えています。それはモノがなくお金もなかった分、「幸せの交換ごっこ」がシンプルで分かりやすかったからです。

それがどんどん複雑化して行く原因は、利益の計算方法に発見できます。
売上ー費用=利益です。では売上と費用はなぜ同じではないのでしょうか?同じでは利益が出ないからですが、ではどうして買う人は費用より多くのお金を払うのでしょう。買う人が費用以上の価値を認めるからです。つまり利益とは「あなたを応援します、頑張ってくださいね」という共感、人の気持ちなのです。つまり利益が出ないとは、価値を認めてもらっていないからです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【参考資料】

2007年に価値をインターネット上でやって驚かせたのがイギリスの大物バンド、レディオヘッドです。彼らは自分たちの新作アルバムをネットで公開、払っていいと思う金額を自由に支払ってくれたらいいという<Pay as You Wjsh>方式に打って出たのです。その結果、180万人がダウンロード、60%が支払いをしませんでしたが、40%が平均2.26ドル支払いました。興味深いのは、通常CDショップで買うよりも多く支払った人が数多くいたことで、その中に100ドル払った人もいたことです。その結果、通常の何層もの仲買業者を通じて販売したよりも多くの収益を得ることに成功し、さらに1年後の次回作ではCD,ダウンロード合わせて300万枚という記録的ヒットを実現。ダウンロード販売がCD販売の足を引っ張った形跡もなかったのです。(出所:「スマート・プライシング」)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

価値とは、人の幸せことなのです。しかし人を幸せにするには利益が必要です。利益がないと食べることが出来ず、生きていけないからです。つまり利益は人を幸せにするために欠かせないエネルギーなのです。

生きるのに必死から始まった昭和のある時点まではこれがスムーズに機能していたのです。ところがモノが行き渡ると変わってきました。価値のないものを売るために、複雑にして価値があるように見せかけて売る。それがバレたために起こったのが、日本のバブルであり、アメリカ発の「金融危機」であり、さらに露骨な行動が中国の海賊まがいの領海侵犯とその後の対応です。現象は違いますが「奪い取れ」という根本の思想は同じなのです。

価値を創り出せなくなり、手っ取り早く利益を得るために「奪い取る」ようになったのです。そのしわ寄せを真っ先に受けたのが、若い人や高齢者たちなのです。奪い取られた弱者は犯罪に走り世の中はますます混乱、ニューヨーク・ウォール街で起こった格差への抗議デモはその最たる事例です。

なぜ、「幸せの交換ごっこ」が大切なのか分っていただけたでしょうか?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【参考参考】

Apple社の創業者でありCEOのスティーブ・ジョブス氏が亡くなったとき、ユーザの心情を察知したメディアが次々と「ありがとう、スティーブ」という特集を組み、彼を語った書籍はことごとくベストセラーになっています。世界の人々から尊敬され、愛されるのは、「相手を負かすのではない、勝つためには自分が価値ある仕事をしなければならない。」の言葉通り、価値ある仕事に没頭したからです。その言葉の通り、悪評を恐れずに、断行したのです。

ここがとても重要だと思います。

彼の遺言のようになった(スタンフォー ド大学の卒業式でのスピーチで卒業生に贈った言葉)「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉が世界中で共感を得ていますが、その意味は「価値を創造する人間であれ、決して本物の盗賊になるな」ということではなかったのかと思うのです。

ITであっても、豆腐屋さんであっても、職種や立場に関係なく、「困難であっても、あきらめずに乗り越えて、価値を創造する人間になれ、決してするい人間になるな」と言いたかったのではないでしょうか?

2005年のスタンフォー ド大学の卒業式での、歴史に名を残す伝説のスピーチがYOU TUBEで聴けます。

【以下、YOU TUBE 資料】必見です。

検索文章

アップル CEO スティーブ・ジョブス 演説 スピーチ ノーカット版

NHKクローズアップ現代「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

多くの企業や店が、言葉では顧客満足やお客様第一を掲げますが、その実際は、お客様にいかに多くのお金を支払わせるかが最大の関心事になっていて、お客様を一人の人間というよりは「収入源」として見ており、ONE to ONEでは「財布」として扱っている場合が少なくありません。

お客様を財布の厚みで分類して、攻略方法を考える、「買わせる」という言葉が普通に使われ、接し方も変えます。法律に触れないギリギリのところで、財布を開けさせるように誘導する。その延長に悪質な客引きがあります。こうした考え方は短期的には、合理的で効率的なかも知れませんが、お互いに感動や共感もなく信頼関係も築けません。

結局、感動も、共感も、信頼関係もない世界では、価格だけが判断基準になり、お客様はより安い価格を提示したところで購入するようになり、売り手は価格競争に陥って、我慢比べで自分の首を絞めることになります。

さらに信頼関係が構築できていないと、お互いが疑心暗鬼になり、なにかひとつのサービスを受けるにしても、価格を調べるために無駄に時聞と新しいテクノロジーを使って満足します。

このような負のスパイラルから脱出する方法はたたひとつだけです。

自分の喜びがお客様の喜びであり、お客様の喜びが自分の喜びになる行きかたです。お客様と共に素晴らしい人生を創造するパートナーになるというやり方です。

どうすればパートナーになれるのか、利用する人の感じ方で変わりますが、利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)


この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。

<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。

さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) のBEです。

<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。

<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。

本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【参考参考】

50年間ずっと増収増益を続けている伊那食品という寒天を売る会社があります。この会社はお客様、従業員、仕入れ先などからいい会社と思ってもらえるようにガンバっていて、その結果として50年もずっと増収増益を続けています。

また相変わらず好調なディズニーランドではスタッフは肩肘張ってお客様を幸せにしようとやっているわけではありませんが、お客様は幸せそうにディズニーランドを体験しています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昔からお客さまは、店か、人か、価格・販促につくといわれます。このうちもっとも誇れるのは、店です。人につくのが一番のように見えますが、それは早計です。その人には自慢であっても、大事なことが抜けています。なぜなら自分と同じように、ひとりひとりが店の代表として、みんなができるようにすることがお客さまにとって最も大切なのです。自分が転勤しても、関係なく継続来店していただけるようにすることがリーダーとなる人の仕事ぶりなのです。

お客様と共に素晴らしい人生を創造することを考えれば、お客様と過ごす時間をもっと楽しいものにしょうと思います。自分のメリットのために相手のデメリットは考え見ないというギスギスとした関係はなくなります。お互いが幸せになるにはどうしたらいいかを共に考える時間を増やすことができ、さらに多くの価値を生み出すことができます。

ところが、これはメーカーと下請けの関係でなくなったことのひとつです。その事例からしても、「うまくいくとは思えない」という人がいるでしょう。「そんなきれいごとは夢だ」と思う人も少なくないでしょう。「現実のビジネスはそんなに単純ではない!と思う人いるでしょう。その上「自分にはそんな立派な価値は創造できない」「私は取るに足らないつまらない人間だ」と思う人がいるかも知れませんが、人は誰でも、人を笑顔に幸せにする乙とができます。

人は誰しも祝福された素晴らしい存在なのです。他者と比較する必要などありません。私たちは物心がついたころから試験の点数で順位づけされてきたので、どうしても劣等感を覚えがちです。しかし誰にでも、大切な誰かに喜んでもらった経験はあるはずです。それこそが価値創造の原点です。学歴や試験の点数など関係なく人は素晴らしい存在なのです。

しかし、自分の素晴らしさを認識できず、根性を歪めている人もいます。もったいないことです。しかも昔から日本では謙遜が美徳とされているので、自分を素晴らしい存在だと認めることに抵抗のある人も少なくありません。それにしても自分を卑下し自分をつまらない人間だと思うことと、謙虚さは全く異なります。自分を素晴らしい存在だと信じられるから、なにごとにも謙虚に感謝できるようになれるのです。逆に素晴らしい存在だと信じていない人ほど、謙虚になれないのが実際です。

私たちは業績をあげるために「何をすべきか」という点を重視しがちですが、DOよりBEがずっと大切な場合があります。何をするのかのDOではなく、どうありたいのかのBEなのです。実はほとんどの場合、BEが大切なのです。BEがしっかりしていないとDOをいくらやっても効率が悪いのです。つまりデタラメな人間がいくらいい販促をしてもいい成果をあげることはできません。逆に人を心から大切にする者が大した販促でしかなくても、心のこもった交流をすることでお客様の心を動かして大きな成果をあげることは少なくありません。

そこで一時、感動サービスが流行しましたが、ほとんどうまくいきませんでした。結局形ばかりの心ない言葉だけ感動のサービスしかできなかったからです。
このようなサービスはひとりひとりの人間力によって初めて可能になります。つまり生計を立てながら、人間力を高めないとできないのです。それを実現するのは学習力です。学習力が競争力なのです。だから学習しない人は何者にもなれず、存在価値が薄くなります。それは負の伝搬となり何代にも受け継がれ不幸が続きます。これこそが最大の問題であり、解決するべき課題です。その突破口になるのが幸福生産性を追求するビジネスです。

どうか誤解しないでください。私はもっと売るためにお客様に親切にしないさいと言ってるわけではありません。お客様を幸せにするのが私たちの仕事だと言いたいのです。自分の良い面を成長させながら生計を立てていくことを望んでいるのです。もっともっと素晴らしい人間になるためにお客様をもっともっと幸せにしようと言っているのです。

人と人の間で生きるから人間と言います。自分たちになるとは、人を幸せにする人間になろうという意味です。自分たちは、人を幸せにして、同じように自分たちも幸せになる人のことなのです。それを図にしたのが次のものです。


今日現在、そうでない人もいるでしょう。そういう人も含めて人を幸せにする人になってほしいのです。奪うことに躍起になっている者が多い現在、それは簡単なことだとは思いません。そういう時代だから、マートワンはそうしたいのです。私どもがかかわる会社さまは、お客様や取引先から応援したいと思っていただける会社にしたいのです。

そのためには、ひとりひとりが、何が本物の幸福なのか、まずしっかり意識する。その上でじぶん力を育み、肯定感、自己効力感を身につけて、個人が幸福になる。PDCAを回転させる力をつける。その力をリーダーシップにしてチームワークの原動力にしてチームそのものを幸せにするのです。





2011年11月8日火曜日

「ハングリーであれ、愚かであれ」がなぜ響くのか

私は、コンサルをしていていろんな組織のトップから末端の方まで、いろんなお話をお聞きし、お話し、沢山の思い出をいただきました。今後も続きます。

そのプロセスでつくずく思うことは、皆さん、賢いということです。少なくとも努力されている方はみんなそうです。なのに結果につながっているかと言うと必ずしもそうではない。それはどうしてでしょうか?先日も実験ばかりで、事が何も進まないような気がしてるんです」とある経営トップが嘆いておられました。

ところがそんなことになるのでしょう。

ひとつは、みなさん、賢くて一生懸命に考えておられます。理に適っていてとっても合理的です。しかし大局に立ち、全体をつないだら必ずしも合理的ではない。不合理なのです。
ひとつはPLAN→DOまでは確かに実行されますが、その先がないCHECK→ACTIONがない。特にACTIONがない。やってみたけどダメだったで終わりです。ひどい場合には、話をしただけで、終わっている。
そして、もうひとつ。
無意識の発言と、説得力のない無意識の内に誰からか学んだ正論と「その通り」の気持ち。つまり五感を通して入ってこない本心の見えない心。

もっとあるのかも分りませんが、もっとも大きな不思議。
だからスティーブ・ジョブズ氏の「ハングリーであれ、愚かであれ」が響き、胸に沁みるのではないだろうか?








マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。


その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。


<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。


個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。


 さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。


もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。


ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。


Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。

たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。

「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。

利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)





この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。

<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。

さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。

セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。

<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。

<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。

本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。

それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。

ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。

日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。

Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。

2011年11月3日木曜日

マートワンの幸福生産性向上レッスン


iLessonsは、マートワンが主催するインターネット講座です。知識の習得だけではなく、得た知識で問題が解決できるようにサポートするレッスンです。ひとりでも多くの方にひとつでも多くの幸福をお届けすることをコンセプトに、安心.安価、気軽を基本とした実践型セミナーです。話しにくい問題もメールでフランクにご相談いただける利点を生かし、どこからでもアクセスしていただけます。またレッスンによってはSkypeを使った電話でのコミュニケーションも可能です。「きっと幸福にする」それがマートワンの仕事です。それではもっとも人気の高い、ライフスキルレッスンとBeプロジェクトをご紹介します。



実績はみなさまの声が実績です。ライフスキルは世界保健機構が人が幸福な暮らしをするために必要と定めたスキルです。みなさんは誰から教わりましたか?そしてそれを使っていますか?その実態は寂しいものです。


ほとんど知らないまま見よう見まね、決して感情的になってはいけないことに感情で判断して行動している場合が少なくありません。その結果、一時的には良かっても、後々苦痛の種のなrってしまうこともあります。行動の前に、もう少し正しい知識を持っていたら、違う結果になっていたことがたくさんあります。それを学び最善の行動ができるようにするのがライフスキルレッスン(ライフスキル講座)の目的です。







マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。


その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。


<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。


個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。


 さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。


もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。


ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。


Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。

たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。

「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。

利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)





この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。

<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。

さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。

セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。

<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。

<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。

本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。

それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。

ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。

日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。

Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。

2011年7月18日月曜日

人生も仕事もゲームのように楽しいものだ




人と人が出会うことの最大の価値は「創造」することにある。出会う数が多いほど、「創造」の数が増えることは楽しい。たとえばこの人のために働きたいと思わせるには、この人の内側に結果を出すというポジティブな信念がなければならない。



自分の人生に出した結果にワクワクすることはあっても、自分が人生に努力したという話に興奮するものはいないからだ。しかも結果を出すためのインスピレーションや勇気が他者への思いやりの上に立脚したものでないと、機能することはまずない。

たとえば、楽しいという店とそうでない店がある。世界最大の家具小売業「イケア」について書かれた書籍の一部を紹介しよう。

実際にはイケアの来店客の大半は、もっとサービスをしてもらっているはずである。ところでイケアは、広く大衆に家具を提供する店だと自分でアピールしているが、だからといってけっして下流階層のための家具店ではない。それどころか店内を見回すと、お客の大半は中間層との印象を受ける。
そもそもマイカーがなければ家具の部品を家に運ぶことができないのだから、そのことからしでもイケアはお金のない人たちの店ではない。
イケアのお客の多くは、店に対して愛憎半ばする思いを抱いている。彼らにとってイケアは、「人生楽して得られるものは何もない」ということを教えてくれる国民学校のようなところだ。料理界の大御所ヴオルフラム・ジーベツクは、あるときイケアで小さな仕事机を買って組み立てたことがあった。
その結果どうなったかを、彼は〈ツアイト〉紙に寄せたエッセイで次のように述べている。「そのためにわたしは二日と一晩を費やし、その結果2キロ体重を減らし、妻には愛想をつかされ、子供たちの尊敬を失った」
イケアのお客にアンケート調査したところ、女性よりも男性のほうが家具に不満を持っていることがわかった。それは戸棚やシステムキッチンを組み立てるのはたいてい男性のほうで、加工品の不備に気づくことがよくあるからだ。しかし最大の理由は何といっても、思ったよりも組み立てに悪戦苦闘するからである。

(一部割愛)

イケアのお客は組立作業の経験がほとんどない。そのためチェストの組み立て一つに何時間もかかってしまう。それに加えてイケアの家具は、一人では組み立てられないようにできているのだ。だから誰の助けも借りずに一人でやると、かならずどこか傷めてしまうのである。
家具の組み立てに一番大事な道具は、INBUSと呼ばれる六角レンチである。これはたいていの家具に添えられていて、イケアのシンボルの一つでもある。INBUSというのは略号で、INは六角形のレンチのこと、BUSは「Bauer und Schaurte」という会社名の略号で、この会社は1936年にレンチ・スパナ類をはじめて市場で販売した。
イケアのお客が手伝わなければならないのは、家具を買うときだけではない。レストランもショッピングと同様セルフサービスになっている。聞によって表示の仕方はまちまちだが、食べた後の食器類は洗い場に出すよう指示標識が出ている。こうしないと低価格が維持できない。

その一方でイケアはお客に対してきめ細かなサービスもおこなっている。たとえばおむつ交換台におむつを備え付けておくのは、イケアにとっては鉛筆と巻尺を用意するのと同じくらい当たり前のことである。しかもおむつは女性用トイレだけでなく、男性用トイレにも備え付けてある。
このように何かと注文の多い店ではあるが、来店客の大半はイケアのサービスにおおむね満足しているようだ。そうでなかったらこれほどの成功は考えられない。もちろんイケアの魅力が(少なくともドイツの一般大衆からすれば)その安い価格にあることはたしかである。しかしそれだけではない、多くの客はイケアのショッピングの仕方に心地よきを感じている。

イケアではお客はほっぽらかしにされ、お客のほうもそれが気に入っている。販売員がしつこく付きまとうこともないし、あれこれ奨めることもしない。だが評論家のハラルド・イェーナーは〈ベルリナー・ツアイトゥング〉紙の中で、このような客と店のあり方をいみじくも次のように分析している。「たしかに専門的なアドバイザーがいないことで、付加価値は減って品物は安くなる。またこのような買い方は、自分とわが家の聞に権威が介入するのを許さない現代人の気質には合っているのかもしれない。しかしそれによって、その道のプロとの出会いを失っていることも確かである」

自分と家具だけの世界

とくに若い人たちにとっては、店員がじろじろ監視して、客の懐具合を品定めするようなことがないのは気楽でいい。どうやって組み立てるのか、いくらぐらいするのかを夫婦や親子の聞でやりとりしているときに、あれこれ口を挟まれたのではたまらない。イケアでは好きなだけゆっくり商品を眺め、あれこれ試して比べてみることができる。お客はプレッシャーを感じることがない。そのかわりに専門家のアドバイスはうけられないが、むろん望むところである。店内を動き回っていると、まるで気の合う仲間たちと一緒にいるような気がしてくる。実際イケアの店は待ち合わせの場所に適しているように思え、雰囲気もアットホームだ。店内の勝手もわかり、なじみのものばかりである。従業員たちものんびりした印象を与える。従業員たちの家族的な雰囲気が、お客にも伝染する。来店客はイケアのことを、行くたびに新しいレパートリーでもてなしてくれる料理上手な親戚のおばさんのように思っている。

哲学者のロベルト・ユンクとイヴアン・イリイチは70年代、「これ以上サービス社会を広げてはならない」という要求を突きつけたが、お客に家具を運ばせ作らせているイケアは奇しくもこの要求をかなえている。「新しいサービスが次々と生まれることで、人間本来の活動能力がだめになってしまう」とこの二人の哲学者は嘆いた。「専門家の集団が、本来自分でやるべき仕事を人聞から奪ってしまっている。だからちょっとしたことでいちいち専門家の助けを借りるのではなく、身のまわりのことは自分でやるべきである。さもないと人間は生きる知恵をなくして他者に寄りかかるだけになってしまう」
と彼らはサービス過剰社会の危機を警告した。またデザイン研究家のヴイクタl・パパネックも、「お客に家具を組み立てさせるのは、利用者と生産者の講を埋めるのに役立つ」と、イケアの方針を評価した。

「だから自分の手を使うことに感動するのです」イケアでものを買って組み立てると、人の役に立ったという心地よい気持ちを味わうことができる。家具を棚から取りおろして、自分の車で家に持ち帰り、部品を組み合わせて家具を作り上げる。多くのお客はこれによろこびを感じる。それは子供が飛行機のプラモデルを作ってよろこぶのと同じである。それは遊びごとに夢中になっているときに味わううきうきした気持ちだ。あるフランスの女学生がうまいことをいった。「イケアつてなんだか大人のレゴみたいね」
ブランド商品研究家のエレン・ルイスは、「イケアが他を凌ぐ強力なブランドにのし上がれたのは、お客を参加させることに成功したからだ」という。

IKEA 超巨大小売業成功の秘訣(リュディガー・ユンクブルート:著/日本経済新聞出版:刊)

人生も仕事もゲームのように楽しむ

どうだろう?ここにはいまを生きる私たちが自分の人生に望んでいるすべてが収録されていないだろうか?
お客を参加させることに成功したと語るのは簡単だが、その道のりが簡単でなかったことは誰でも気がつくことだ。結果を出すために他社とはっきり差をつけることを至上命令にしたトップ(イングヴァル・カンプラード)の思いがお客の参加という形になった。つまり自分の人生が他者にインスピレーションや勇気を与えた結果が、お客の参加という結果を創造したのだ。自分の人生ストーリーが傑作であればあるほどその価値は大きく収入は増えるという事例だ。

女学生の「イケアつてなんだか大人のレゴみたいね」という言葉は、私たちが人生をどう過ごすべきかについてこれ以上ない明確な回答のようだ。

私たちはまだ十分に自身の人生に参加していないことに気づく人も少なくない。







人生も仕事もゲームのように楽しいものだ。他人の真似をして人生や仕事をつらいものだと思う理由はない。



2011年7月9日土曜日

スケジュール管理、時間管理は計画そのもの




「スケジュール管理、時間の使い方」は、心に決めたことを実行するためにあることです。

手帳本が売れるのは、いかに心に決めたことがない人が多いかを物語っています。

心に決めたこともないのに、「スケジュール管理、時間の使い方」をしょうとするから難しいのです。集中力も同じで、心に決めたことがないのに、集中しようとしても集中できないよね。

集中するには、しなければならないことではなく、したいことを強く意識することです。集中するとは、しないことを決めることで、しないことが決まるのは、「したいこと」に時間を思い切り使いたい欲求があるからです。

したいことがなにか?自分の心を決めましょう。
ライフスキルで言う「自己認識スキル」「意志決定スキル」「目標設定スキル」が問われます。問われていますが、そんなことは気にせず、なにをどうしたいのかを決めればいいのですよ。

つまり、一番大事なことは、どういう気持ちになりたいかです。
「こういう気持ちになりたいから、これをすることでこうなりたい」と考えて、自分の心を決めるようしましょう。




2011年7月2日土曜日

顧客第一主義



「成功する組織には共通している点が一つある。それは顧客に重点を置いているということである。企業であろうと医師や弁護士、病主、病院、公共機関であろうと、顧客を大事にするところだけが成功するのだ。」・・・・「1分間顧客サービス」の序文にこう書かれている。・

ところが守られて実行されているかと必ずしもそうではない。顧客第一主義と掲げながらも、実際にはそうはなっていない。

顧客第一主義でなくても成功している要因はいろいろあるが、たとえばアップルが次ぎ次に出す製品の魅力は、アップルストアの対応もまずさを帳消しにする。それでも製品力が顧客にサプライズを与えているという点では見えない人間力が人々の心をとらえている。

製品力ではそれほどでなくても、独特の空気を発する空間の魅力で心をとらえる場合もある。あるいは仕組みで心をとらえることもある。しかし、それほどの魅力を発する組織がどれだけあるかと言えば数えるほどしかなく、唯一のよりどころとして顧客に重点を置くしかない場合がほとんどなのだ。

にも、かかわらず顧客第一主義になれないのは、お客さまを大事にすることよりも、それ以上の強い関心があるからだ。モチベーションが高くてもそのモチベーションがお客さま以外に向いていると、逆に顧客をないがしろにすることもある。そこでは結果と原因の関係が理解されていない。

因果関係の理解こそは仕事を、人生を豊かにするものだ。なぜスターバックスに列がだきるのか?なぜイケアには楽しそうに買い物する客が溢れているのか?現象は自然に発生したのではなく、意図されたものなのだ。結果を出すための原因を因果関係というプロセスとプロセスを生み出す環境によって導き出したのだ。

つまり顧客第一主義をスローガンのように掲げるのではなく、そこに至るプロセスと環境を用意するのが先なのだ。そのスタートが「人間を知る」ことだと思うのだ。

人間を知るために運命脚本とドラマ的な交流について説明した。それは売る側にあるし、顧客にもある。その背景にある心理は複雑だが、そこにマーケティングとマネジメントの本体が潜んでいる。それを紐解く作業は簡単ではないが、顧客第一主義をスローガンにしているよりは、よりよい結果に辿りつくだろう。

顧客に重点を置き、そこからしか得られない満足感に救われ、モチベーションが高まり、顧客の心を動かす感動に勇気を与えられる。自分がなれる最高の自分に進んでいくプロセスを歩いてみよう。マイ・プロジェクトだ。

2011年6月30日木曜日

ライフスキルとゴールデンルール そして マイ・プロジェクト







働き方は生き方

仕事は人生と表裏一体だから働き方は生き方と表裏一体です。自分の代わりを誰かに頼めるわけではないので、自分の働き方は自分の仕事そのものになって表れます。だからみんなかたつむりみたいなものです。

仕事ができても人格、人生が破綻していたら何にもならない。
逆もそうだと思います。でも最近はそういう人が目立ちませんか?

ぐらつくのはライフスキルが危うくなっているからだとも言えます。
ライフスキルとは世界保健機構(WHO)が定めた、「人が健全かつ幸福に暮らすために必要なスキル」のこと。

ライフスキルを育むために欠かせないスタイル、つまり働き方、遊び方、生き方そのものである「ゴールデンルール」の具体的な実践方法を中心にご説明、提案したいと思います。

まずなぜゴールデンルールなのか。さらにライフスキルの基礎を形づくる積極的な自己表現(=アサーティブ)についても考えたいと思います。

ライフスキルとゴールデンルール

これまで説明してきたように、人間とは厄介でおもしろい生き物です。みんなそれぞれにライフスキルのありようが違い、それによって随分と違う人生を過ごしています。ライフスキルとは、生きる技術であり、生きる力です。
技術は使ってこそ価値があるもので、その構造や学術的なこととして知識を持っても意味がありませんせん。あなたが心理学者であるなら別ですが、一般のひとはライフスキルを学ぶために生きているのではありません。英語の学習と同じで知識として身につけるより、ツールとして使いこなせることが大事です。

それと同じ理由から、知るより使いこなすにフォーカスしています。そのためにマートワンとゲンキポリタンでは、課題(タスク)を設定して、クリアするプロセスを通じてライフスキルを育む方法をアプローチしています。そのツールがゴールデンルールであり、それは自分のスタイルを創造するものだと確信しています。


自分のスタイルを身につけてライフスキルを育む

マイプロジェクトで選ぶゴールデンルールは次の7つのなかから選びます。
それぞれのルールに、関連するライフスキルを記載しています。


●自分と周囲の人を尊重し励ます
コミュニケーションスキル (効果的コミュニケーション ・対人関係)

プロセスに注目する 
自己認識スキル(自己認識・共感性)

決めたことは責任をとる  
意志決定スキル(意志決定・問題解決)

できるまでやる 
意志決定スキル(意志決定・問題解決)

いまこの瞬間に集中する 
意志決定スキル(意志決定・問題解決)

理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
目標設定スキル(創造的思考・批判的思考)

感情的な行動をしない 
ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処)


マイ・プロジェクト


マイ・プロジェクトとは、自分をプロジェクトすること。つまり人間には仕事する以前に、未解決な問題を抱えた存在であること。人それぞれに無意識の生きる構えを持っています。その生きる構えによって、解釈の違い、判断の違いがあり、対応、行動の違いが生じます。

ライフスキルが機能している状態なら、解釈、判断、対応、行動、コミュニケーションも機能させることができます。しかしライフスキルに不足があり、機能していない場合には、それらも機能しなくなります。

いくらビジネスに関する知識があっても、知識を機能させることはできなくなるのです。多くのトップやマネジャーと接して、仕事を十分に機能させることができない場面に遭遇してきましたが、問題になるのは個人が抱えた問題である場合がほとんどなのです。

よくあるご相談は、ビジネススキルを充分トレーニングしているのに、効果がでないというものです。
この場合、個人的な未解決な問題が影響しています。つまりスタイル、フォームが悪いのです。ようするにゴールデンルールができていない。「できるまでやる」ことができない。「感情的な行動をしない」ように進められないなどの問題です。

俗に性格の問題として片付けることが少なくありません。しかし本当にそうでしょうか?生き方の問題は仕事の行き方の問題となって表れているのです。そして一番苦しんでいるのは当の本人なのです。

この致命的な問題に、ぶつかって改善しようというのが、マイ・プロジェクトです。

結果(成果)には原因があります。原因になっているのは主にプロセスと環境。ここに個人的な要因が強く影響しています。個人の未解決の問題が知識や技術の修得、センスに影響を与えているのです。また目標の設定と取り組み方とはダイレクトに関わっています。

ここまでは目に見えることです。この水面下、見えない領域があって、目標の根拠になっている「目的」「価値観」があります。これら心の在り方は言葉にするのも容易ではありません。


マイ・プロジェクトとは、見えない部分を見えるようにする。見えない部分を意識してより自分にフィットしたじぶんらしい生き方(働き方)をするものです。


働き方は生き方そのもの、生き方が変わらないと働き方は変わらないので結果も変わらない。それは逆のプロセスもあることを意味しています。


なれるだけいっぱい幸福になる方法をご提案します。



2011年6月5日日曜日

本当のリーダーシップ

あるカフェでアルバイトとして入店したヒロシは飛びっきりのセンスを発揮していた。
なによりヒロシが際立っていたのはチーム力のセンスだ。
優れたセンスを見て取ったエリアマネジャーは、彼を正社員にして、他店のサブマネジャーに就かせた。

そして彼の仕事の動作をメモしていった。
エリアマネジャーは、自身の上司に書き留めたメモをもとに説明をした。さらに上司の目で直接観察してもらうために現場に呼んだ。二人の上司はさりげない訪問の形をとり、ヒロシの仕事を観察した。

彼らの目にもヒロシは生まれながらのリーダーのように見えた。
なにがヒロシを生まれながらのリーダーにしていたのだろうか?

エリアマネジャーとその上司二人は、感覚ではなく言葉に置き換えるために分析した。

一番目に、まずなによりも、ヒロシはどんな問題にも、どんなときにも、一歩先、二歩先を見ていた。ほかの店とは違って、資材が届くのを待ったことはなかった。いつも欲しい時にはすでに調達してあった。

後でインタビューしたときに分ったことだが、その段取りのよさの目的は仲間が働きやすい環境を作ることにあった。それはお客さまに不便をかけないための必須だった。彼には人間はみんな対等だという意識があり、それを現実にするためにどうしたらいいのかについて自分で考えた結論が「段取り」に集約されていた。

二番目に、ヒロシには自分がどうしたいかというビジョンがあり、それは正確に伝達されてあって、誰もが同じように理解していた。

ヒロシにはうまくできない原因は指示する者にあるという強い思いがあった。指示する場合には、できるかできないか、スキルの確認が先であり、スキルが不足していたなら補充してから指示しないと失敗はすでに決定的なのが当たり前だと知っていた。スキルかあってやる気の前提条件だと考えていた。誰に言っても同じように理解できない表現は表現そのものが間違いであり、指示する者の責任は明白だ。

三番目は、ヒロシ自身が流す汗に表われていた。

指示は過酷な場合がある。自らが汗を流さないと過酷に挑戦しようとしないのは当然だと考えていた。だから誰よりも汗を流すことを信念にしていたのだ。

四番目は、大局観があり、客観的に自分のことも客観的に知っていた。
店長にならないかと打診されたとき、ヒロシは言った、
「本当は、自分の手でやるほうが好きなんです。」

インタビューで分ったことだが「大局観」の出所は矛盾に対する認識の仕方にあった。「清濁併せ呑む」ということわざがある。広辞苑によれば善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。とある。度量の大きさを指すことも多い。矛盾を受け入れることは矛盾のまま押し付けてできることでない、それは暴力だとと熱く語る。

「清濁併せ呑む」のが優秀な社会人だと押し付けたとしたら、矛盾の強制でしかない。ヒロシに言わせると「清濁併せ呑む」とは、矛盾が解決された状態だと言う。矛盾を受け入れることは、それぞれの思考回路を通過してそれぞれに理解できた上での結論でしかないと語る。考え方の集積で矛盾は解決される、それはアートのように美しい円を描くという。

矛盾を解決して、円を描く求心力になるのが組織の目的だと言う。どのような組織にもその活動にはいろんな要素が絡んでいて因果関係がある。この因果関係が、あちら立てればこちらが立たずという現象の原因にある。

なぜそうなるのか、それは因果要因が目的と一致しない考え方があるからだと言う。もし因果要因のすべてが目的と一致していたら矛盾は解決される。一致していないから矛盾があり、それを解決するために矛盾を受け入れろという。なんとも乱暴な話だと言うのがヒロシの自論だ。

そうではなく、因果要因のひとつひとつがある方向に集中的に向いていたら、それぞれの要因は矛盾がなくなる、矛盾があるのはそれぞれの要因がバラバラの方向に向いているからだ。だから正しく機能するように因果要因のひとつひとつに正しい考えを浸透させて、つなぎ直していくことがリーダーの仕事だと自論を展開した。
なにをしたいのかという目的を持たないチームに矛盾が満ちているのは当たり前ですよと語った。

三人はリーダーシップとはなにかを思い知らされた気分になったという。

ヒロシは数ヶ月前まで、正社員につきたいばかりを考えてアルバイトにも就かずにいたフリーターだった。

2011年3月23日水曜日

長期に継続する幸福を獲得する術

一般に企業活動は、利益の追求をしているものですが、実際には考え方の違いがあります。

どの程度の期間を分母において、どの程度の利益を、どのように利益をあげるのか、このように重要な課題を並べるのは簡単ですが、それぞれ随分考え方が違うものです。

なかでも、長期計画、中期計画、短期計画というように、期間の認識は経営のありようを全く変えてしまいます。長期計画は短期計画の倍数のように考える方がいますが、仮に結果的にはそうであっても、その意味の本質は違います。成長率をひとつのバロメータにするように、長期計画は成長性を含んでいます。

しかし、よりもっと大きなトレンドで考えてみると、世の仲の動きは、企業活動の思いに反して、利益は乏しくなる方向に進んでいます。時間の経過と共に障壁が増えていく、強くなっていくからです。

学校を出たときには成長産業だった就職先が、定年を迎える頃には赤字産業に変わっていたという話は巷に溢れています。たとえば一時期、電気街ではどこもパソコンが占領していましたが、いまではマンガ本に替わっているありさまです。なぜ、そうなったのか、少し考えていただくと分かることですが、パソコンに限らず、すべての商品が同じような運命を辿ります。

しかし、パソコンが全くダメになったわけではなく、いまも売れ続けています。デル、アップルなど一部のメーカーは前年以上に販売台数を伸ばし、利益も膨らましています。

ある者は敗走し、一部の者が勝利する。その違いの正体は何か?
長期に継続する利益を獲得する術で優っていたのです。

そこで利益のもうひとつの表現である「顧客満足」が重要さを増します。顧客満足と利益は表裏一体、コインと同じですが、顧客満足についての理解もひとそれぞれです。詭弁と考えるか、心からのそれと考えるかで、行動は随分変わります。

企業であれ、個人であれ、卑屈な態度をとりたくないのであれば、心から相手を思う気持ちを持って行動するのが望ましいでしょう。

しかし、自分に不安が強いと、自分のことばかり考えてしまい、自己中心、自己優先になります。そこで思い起こして欲しいのが、昔から言われる損して得取れ」「肉を斬らして骨を斬れ(皮を斬らして肉を斬れ、肉を斬らして骨を斬れ、 骨を斬らして命を取れ)」です。

人間関係は、その典型なのです。自分が出来ることをしてあげることで、なれる最高の自分になれる。その目的を実現するのが、いくつかの因果関係です。

個人の暮らしを「幸福」に導く要素には、仕事、趣味、異性、時間とお金の使い方、モラル、行動基準が主たる因果要因になるでしょう。取り組みやすいように砕くとコミュニケーション、恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、時間、お金、セックス・健康・ダイエット、そして老い・介護のことがあります。そして愛のことがあります。

これらバラバラの課題を串刺しにして、一貫したものにしているのが愛のありようなのです。目標から逆算して、必要な要因を適正化して、それぞれの要因を満たすことで、因果関係で結んだときに、目標が自然に叶う状態にする。これが長期に継続する幸福な暮らしを実現する必須条件なのです。

どのような要素がかみ合うと、目標に到達するのかプランできます。

仕事、趣味、異性、時間とお金の使い方、モラル、行動基準が主たる因果要因になるでしょう。これが目標に到達する方向にまとまっていなくて、バラバラなら、それぞれの要因で努力しても、目標には到達しません。

大震災が物語るように、人は自分の一生をコントロールすることはできませんが、自分を大事にすることはできます。自分を大事にするように、同じく他者も大事にすることもできます。この考え方を幸福にする因果関係に落とし込んで、実践、行動を重ねていくと、それぞれの因果が自分を幸福へ誘導します。

今日さえ幸せであればいいというのではなく、「長期に継続する幸福を獲得する術」を真似るか、自分で創り上げるのです。つまり、それはアートと言ってもおかしくありません。

生活あるいは仕事をアートにするには、自分がアーティストになることから始めます。デザインされた家具やカフェからは決して入ってこないのです。スタバでお茶を飲むより自分の部屋で飲みたいと思うくらい自分と自分の部屋を洗練させる喜びを大事にしたいと思うのです。

2011年3月21日月曜日

内側の力と外側の力、因果関係を読み解く力

人間には、内側の力と外側の力があります。

外側の力とは、肩書き、資格、専門スキルなど他者が評価した力です。時と場所の範囲限定的な力です。
内側の力は他者の目に触れにくい力ですが、世界中で使えて生涯役にたつ力です。
災害が起こったときに、損な役割を主体的に引き受ける力は、内側の力を使います。

ビジネスの世界にも、内側の力と外側の力があります。
外側の力とは、販促力。「なにをするか」がテーマになります。アイデアを駆使していろんなプロモーションが打てます。人間の外側の力と同じで評価しやすいものです。お客さまにも分ちやすい分、競争相手にも分ります。つまり真似しやすいので追随が簡単という弱点があり、競争優位のポジションをいつ明け渡すか分らない脆弱さがあります。

内側の力は、風土に近いもので「なにを持っているか」がテーマになります。こちらは外から分りません。企業の中にいても、人によっては分らないでしょう。勤める会社をいくつか経験した上で、客観的に分析、評価する力があれば理解も深まるでしょうが、それでも難しい場合があります。内部の人にも分らないくらいですから競争相手にも理解が困難です。その分、強い力を持っていると、競争優位のポジションを長く獲得できる可能性が高くなります。

多数の力を合わせても、内側の力と外側の力には、明らかな差が生じるわけですから、個人レベルになるとますます明らかです。

外側の力を引き上げる目標設定をするのは簡単です。しかし内側の力を引き上げる目標は設定そのものが難しいものです。目標そのものが曖昧な表現しかできないからです。目標が曖昧だとなにをしたらいいのかも難しくなります。

そのときに「因果関係」が役立ちます。どのような要素がかみ合うと、目標に到達するのかプランできます。

仕事、趣味、異性、時間とお金の使い方、モラル、行動基準が主たる因果要因になるでしょう。これが目標に到達する方向にまとまっていなくて、バラバラなら、それぞれの要因で努力しても、目標には到達しません。

たとえば、将来は自分の店を持って苦難があっても、楽しく働きたいと考えている人が、公務員と結婚したいと考えている女性に熱をあげていたらどうでしょう?将来変わる可能性がないわけではありませんが、夫と力を合わせて商売するのが希望の女性と交際するほうが目標を叶える上で有望です。

時間の使い方も同じです。暇があればパチンコをして暮らすのと、商売の勉強をするのでは、結果は明白です。

このように、目標から逆算して、必要な要因を適正化して、それぞれの要因を満たすことで、因果関係で結んだときに、目標が自然に叶う状態にする。これが競争優位に立つ必須条件なのです。

このプロセスで必ず生じるのが、あちら立てれば、こちら立たずなのです。ほとんどの人はバカではありません。しかしバカでないから落とし穴に落ちてしまうのです。あるひとつの事象だけを見たら正解だけで、それを組み合わせると不正解になることは少なくありません。ファッションはその典型でしょう。色の組み合わせがその見本です。あるひとつの事象だけを見たら非合理だが、組み合わせてトータルで見たら合理的ということが多いのです。

限られた時間と労力で迅速に答えを出すことが必要な震災支援では、これがとても重要になります。全体を見渡し判断するリーダーのマネジメント力が重要になります。

郵政が大赤字を出していて実際には破綻状態にあるのはその典型です。民営化以降、利益を出し多額の納税をしていたのが、いまでは税金で穴埋めをしなくてはならない逆転状態に陥ったのは、某大臣がある一点だけを取り上げて損失が生じていると、マスコミも巻き込んでネガティブキャンペーンを張った結果です。このようになにが正しくて、なにが間違っているのか、自分の暮らしをよく観察してみることが大切なのです。

外側だけでは分らない、内側の力。ビジュアルにするのが難しいものを、ビジュアルの時代にあって、きっちり見分ける力・・・・・因果関係を読み取って見極める眼力も、想像力も内側の力の産物です。

2011年3月2日水曜日

過去、いま、未来・・・それぞれの生き方

過去に後悔しない。未来に不安を感じない。

言うのは簡単だが、実際にはほとんどの人は過去に後悔して、未来に不安を感じています。
特に日本人はネガティブで、未来への不安は、命を絶つまでに発展することがあります。

いま、この瞬間を生きることができない人が、巷に溢れているのです。

消費活動に向かわせる市場がそれだけあるということです。
そこであの手、この手で財布をターゲットにして仕事する。

ところが、その仕事をしている人自身が、過去に後悔して、未来に不安を感じている。ですから、ビジネスの現場は否定的な意見が中心になっています。
国力を弱めているのは、エキサイティングな物語を書き演じる人が少なくなったからでしょう。

思えばAppleが、iPhoneに至る物語を書いたのは、もう随分、前の話。それを着実に実現してきています。実現できたのは、物語を現実の物語にするために、ずっと続いている「今」そのときに打ち込んできたからです。「TOY STORY」も、そのプロセスから生まれたのです。

とてもシンプルなストーリ^ですが、考えると涙がこぼれます。なぜなら、iMacのヒットでどん底を抜け出したばかりの時だったからです。勇気になる話です

いまこの瞬間に集中していないと、過去と未来だけになってしまいます。いまこの瞬間に集中したくないから、過去と未来だけになるのです。

つまり、「現在」から逃げる習慣が、スタンダードになっているのです。

だから自分のスタンダードを変えるようにしないと、生き生きとした人生は過ごせません。

過去はかって「現在」でした。
未来はやがて「現在」になります。
どちらの現在も、いまこの瞬間の現在と同じように、逃げていた、今後も逃げ続けるなら、それこそいまこの瞬間に行動を変えるしかないはずです。

それでも変わらない人がほとんどだから、ずっと過去に後悔して、未来に不安を感じながら暮らしているのです。

東京スカイツリーに行くよりも、心に自分スカイツリーが必要だと思います。