2015年2月28日土曜日

肯定的な態度

リーダーシップの基礎的な力となる自他肯定(私はOK、あなたもOK)の態度。それにはまず自身が肯定的な態度を日常的なものにすることが欠かせません。以下のようなことに気をつけます。


・活き活きとした態度、良い姿勢を実践していますか?
・笑顔、微笑みは多いですか?
・感情的な態度はしないようにコントロールしていますか?
・うまく行かない時でも、落ち込まず、やり直してみようとしていますか?

さてこのなかで、特に留意したいのが感情的な行動です。感情はスパイスのように生活に潤いを与えますが、使い方でストレスになり、人間関係、仕事の仕方を複雑にして社会性を欠いたトラブルに発展することもあります。


お好み焼きをソースなし、お寿司を醤油なしで食べるのは味気ないものです が、反対にソースの中にお好み焼きを、醤油樽のなかにお寿司を入れたら台無しです。 感情も同じで、感情のままに感情的な行動をすると、人間関係も破綻するので注意したいものです。それには自分自身の人間関係の仕方に気をつけて、自他肯定を貫くようにしたいものです。
これまでにお話ししたように4つのパターンがあります。

・私はOK、あなたもOK
・私はOK、あなたはNO
・私はNO、あなたはOK
・私はNO、あなたもNO
このなかから
・私はOK、あなたもOK

をご自身のスタイルにするようにしてください。これを自身のスタイルにすることで、ゴールの健全化が可能になります。言い換えるとこれ以外の3つのスタイルを使ってネガティブなゴールを目標しているのです。
・私を嫌って(私を見捨てて)
・私を捕まえて
・不幸な私
・泥棒に追い銭
・弱みの正当化
・責任転嫁
・ヒステリー糾弾
・仲間割れ
・法廷
・三角関係
その他いろいろ
人間関係の仕方は、これらゴールを達成するためにあり、人間関係の仕方を使ってこれらのゴールは繰り返し達成されますが、人生の総決算ではよりスケールの大きなゴールを迎えることになります。
これこそが自身の人生の真の目的で、意識されることはありません。むしろ顕在化することで防止できますが、ほとんど顕在化するのは困難です。日常的には意識された目的、たとえば起業して成功したいとか、大過なく会社勤めをしたいとか、幸福な結婚生活を送りたいといったものが自身の目的として存在しています。しかしこの種の目的がトラブルとしたら、立ち止まって、同じようなことを繰り返していないか観察することが必要です。それは偶然ではなく、無意識の目的が働いているからです。
感情の扱い方はとっても重要なのです。感情に善悪はありません。どのような感情も認めてあげてください。問題は感情を行動することです。腹が立つから暴力を振るうのは間違っているように、抱きしめたいから痴漢したというのも犯罪です。
生活に潤いを与えるはずの感情の扱いを間違えるととんでもないことになることも少なくありません。感情を正しく扱う基本が、<私はOK、あなたもOK>の人間関係の仕方です。この態度こそ大切にしたい日常の態度であり、憲法で認められた互いの基本的人権を尊重した態度です。 WIN-WINを成し遂げる、右でも左でもなく前向きな在り方であり、肯定的な態度です。

2015年2月21日土曜日

愚痴、不平不満、悪口、不安、悲観など否定的な言葉を口ぐせにしない。

SNSを使って、格言やことわざの引用をされる方がたくさんいます。ご本人は勇気づけのつもりで使用されていると思いますが、これには注意が必要です。意外と思われるかも知れませんが、格言やことわざの引用は対象を否定するネガティブな言葉の範疇に入ることが少なくないからです。親子の関係で考えていただくとその意味が容易に分かると思います。

すべての人には、三つの心があります。正確には五つあります。

・親の心 (厳格な親の心、保護的な親の心)
・大人の心
・子どもの心 (無邪気な子どもの心、従順な子どもの心)


ダメだよ。バカだな。すべきだ。しなくてはいけない。絶対にしてはいけない。私のいう通りにしなさい。格言やことわざの引用。

これらは父親的な<厳格な親の心>から発せられる言葉の一例です。その時のトーンは説教調。批判的。断定的。威圧的。権威的。押しつけ調です。見せかけの自己肯定の一方で周りの人に否定的。独断的。偏見。保守的。排他的。支配的。規制的です。

この裏返しに、<従順な子どもの心>があります。
<従順な子どもの心>からはしていいでしょうか。できません。どうせ私なんか。するつもりです。悲しい。淋しい。不安、悲観的な言葉が目立ち一方で、裏に回れば愚痴、不平不満、悪口、など否定的な言葉が代表例で、トーンもボソボソ。自信がない。ぐずぐず。遠慮。くどくど。めそめそが目立ちます。
表情、動作としては顔色をうかがう。いい子。ため息。じめじめ。暗い。おどおど。不安。恐怖。憎悪。ひきこもり。よりかかり。くってかかるなどです。自己否定。他律的。依存的(従順)。反抗的。挑戦的。屈折した甘え。すねる。恨む。自虐的。自己愛的な構えが特長的で<厳格な親の心>が背景にあります。


一方、母親的な<保護的な親の心>から出る言葉には、気になるよ。よかったね。よくできたね。まかせておけばいいよ。してあげよう。きれいだね。可愛いよ。可哀相に。 大丈夫。できますよ。などが代表例です。

その時のトーンもやさしい。柔らかい。愛情がこもっている。同情的で、態度も温かみがあります。自己肯定、周りの人に対して肯定、世話好き。寛大。面倒見がよい、受容的、やさしい。理解に富む。非懲罰的な構えが目立ちます。

大人の心とは、これらの中間にあり、構えとしては事実中心、理論的、合理的、客観的、説明的、情報収集的、打算的です。言葉もどうすれば?いつ。どこで。誰が。どのよう
に。なぜ。と思います。具体的にいうと。ということですか。などがそうです。

本来の自分らしさは、<無邪気な子ども>がそうです。
・・・がほしい。・・・がしたい。楽しいね。好きだ。嫌いよ。かっこいい。ああ、面白いね。感嘆詞で語られる言葉が代表例です。明るい、開放的なトーンが特長的で、ユーモア。あっさり。自由な感情表現。自発的、活発。よく笑う。ふざける。伸び伸び。自由闊達。朗らかで明るい構えが目立ちます。

この背景に<保護的な親の心>があります。

バランスのとれた<厳格な親の心><保護的な親の心>によって年齢を重ねるほど、<従順な子どもの心><大人の心>を身につけると同時にコピーされた<厳格な親の心><保護的な親の心>を身につけていきます。

<厳格な親の心>✖️<保護的な親の心>のバランスが悪いと、<従順な子どもの心>が突出したり、<大人の心>が突出します。

人は誰もが5つの心を使ってコミュニケーションしていますが、バランスが悪いと関係性を悪くしてしまいます。子どもが犯罪を起こす場合、そのほとんどに過剰な抑圧に失敗した挙句に起こる<従順な子どもの心>の暴発が見受けられます。また会社勤めで起こる過剰な<大人の心>へ適合できなくなってうつ病になることも起こります。

この背景には、<厳格な親の心>から発信され、いつしか無意識に沁み込んだ否定的な言葉と態度、構えの過剰な使用があります。たとえばお客様の目の前ではポジティブな言葉や態度を意識的に使用していても、自分の本音は自分が知っています。

それが自分と自分の仕事を作っています。常にネガティブな側面にフォーカスしているのです。日常的に「業績を上げたい」と口走っていても、その真実は「業績が悪い」にフォーカスしているわけですから改善が出来なくなってしまうのです。この場合の「業績を上げたい」はポジティブでなく、実際にはネガティブなのです。

<無邪気な子ども心>から発信された「業績をあげたい」と従順な子どもの心から発信されたそれでは言葉は同じでもトーンも行動も職場の雰囲気も違うのは歴然です。否定的な言葉を使わないようにするには、構えから肯定的でないと有効でないというわけです。

ポジティブで健全なリーダーシップが機能していれば、PDCAは難なく使いこなせます。否定的な成人は「PDCAは大事ですがなかなか難しくて」と平気で言いますが、世界中で無邪気な子どもは一番のPDCA名人です。


ワーカホリックになったリーダーは顔色を伺った末の従順さゆえですが、仕事も遊びも関係のない健全なリーダーは保守的、支配的、規制的にならず自由闊達に仕事を楽しんでいるので問題発見と解決もうまいのです。見せかけで判断せずにしたいものです。





肯定的な構えを作るには言葉から。

人は言葉を使って考えるので、使う言葉は自分を作ります。肯定的な言葉、態度の代表格はなんといっても挨拶です。
挨拶は挨拶力といってもいいほど自分の力が試されます。挨拶は、ライフスキルの内のコミュニケーション・スキルの典型的なスキルで、挨拶には感謝する能力が含まれています。

つまりWINーWINの基礎的な能力です。成長しない会社ほど挨拶ができません。いくら立派なことを言ってもロクにできないのは基礎ができていないからです。それもそのはずそもそも社会人としてなっていないからです。肯定的な人間関係の仕方ができないのです。否定的な構えが組織の主流になっているのです。
挨拶は社会人ホヤホヤの新入社員の方が、真っ先に身につけるスキルですが、 社会経験が豊富な人は挨拶の達人になるつもりで努力したいスキルです。

最近は、新入社員に限らず、挨拶ができない、しない人が多い傾向にあるのは どうしてでしょうか? 大企業でもオフィスはもちろん、社宅や寮でも問題になっていますが、改善が進まないようです。
挨拶の言葉はとっても素敵な言葉で、気持ちを和ませる力があるのに、挨拶をしないのは、もったいないとしか言いようがありません。

挨拶とは、儀式であると感覚的に覚えてしまった人が増えているのかも知れません。どうせ決まり文句、言っても言わなくても同じと思っているかも知れませ ん。挨拶するのが、恥ずかしい、照れくさいということもあるかも知れませ ん。しかし「挨拶」は、人間関係の基本なのです。

なぜ挨拶は人間関係の基本なのでしょうか。 挨拶とは、相手を思い、自分を思う、思いやりと感謝の気持ちそのものだからです。

挨拶の言葉には、いくつもの思いがこめられています。 「おはようございます」には、私は元気です。あなたはどうですか?私は今日も頑張ります。あなたもがんばってください。

「いらっしやいませ」には、 よくお越しいただきました。当店を選んでいただきありがとうございます。わざわざお時間をさいていただきありがとうございます。というような意味があります。
ですから、相手が誰であっても、自分から近づいて挨拶しましょう。 相手が先輩、上司、お客様なら当り前、後輩、家族、友人にも自分からします。

挨拶は楽しいものです。自分の良心と良識、つまり挨拶を通じて自由を表現するわけですから、愉しくないわけがないのです。愉しいことを陰気な感じでしていると、自分でも自分の感情がなんだか分からなくなってきます。 挨拶が愉しいものと思えないという人は、その意味をよく考えてください。

出かけるときの「行ってきます」には意味があります。 私は外でする用事があるので出かけます。出先での仕事に頑張ります。留守をよろしくお願いします。私に用件が入ったら代わって応対してください。といった意味が込められています。

「いってらっしゃい」には、「気をつけて行ってきてください。」の意味があります。あなたの留守中、頑張ります。あなたに用件が他から入ったらあなた に代わって応対しておきます。といった意味が込められています。

「気をつけて」「今日も元気で」「皆さんによろしく」、言葉にできないメッ セージをひとことに込めて、挨拶をしていると、挨拶するほどに心の泉に愛がたまっていきます。


家族の間でも同じです。お母さんとこどもの間でもメッセージがやりとりされています。だから想いがしっかり伝わるように、元気に明るく、笑顔で、相手 の目を見て心で伝えるようにします。目は心の窓です。

目を見ないで、挨拶したり、ありがとうございますと言っても、心は届きませ ん。言葉は相手の意識に届きますが、まなざしは相手の心に届きます。 思いやりをこめて挨拶することがとても大切なのです。メッセージと共に、自然に親しみとやさしさが伝わります。あたたかい気持ちを投げかけたら 、やっぱりお返しにあたたかい気持ちが返ってきます。だから身体を使って態度で表 現すると、より伝わります。

歩いているときに、出会ったら、立ち止まって挨拶をします。 「おはようございます」の最後の「す」を言い終わってから、お辞儀すると、 一層伝わる力が強まります。お辞儀は身体で表現する挨拶です。 お辞儀には、腰を折る角度が15 度の「会釈」、30 度くらいの敬礼、45 度の 最敬礼の3 種類があります。

お客さまの出迎えやお見送り、訪問した場合は、最敬礼です。 同僚には会釈、頻繁に接する上司には会釈、多少あらたまった場合には敬礼です。最敬礼でも悪くありませんが、しかし家族間で最敬礼は変です。ですから家族とはいかないにしても社内の場合は「身内」ですから深々としな いのが普通です。最敬礼をしないのは、お互いの間にある「境界」をゆるめて いるからです。 国と国の間には国境がありパスポートを確認します。最敬礼をしないのは、パスポートの確認をしなくていいような意味です。しかし、境界があることを忘れてはいけません。ゆるめるのと越えるのは全く違います。

気持ちのいい挨拶ができることは、お互いの境界を認めることですから、自立 が進むことなのです。挨拶をすると開放感が自分の内側で起こります。どんどん自由になっていきます。心をこめた挨拶をするたびに、自立に向かっています。

世界には6100 からの言語があります。言葉は違っても、 世界中で一番美しい 言葉 「ありがとう」です。言葉が違っても美しいのは、感謝する心が美しいからで、世界共通です。

世界中の人々は美しくなるためにお金も時間も使っています。先進国であるほどそうです。だから美しい言葉 「ありがとう」を使わないのは矛盾していま す。どんどん気持ちを込めて使わないと、損をします。 「ありがとう」を使う習慣を持った人は美しく見えます。

使い方によって、さらに美しくも、カッコよくも見えます。 気持ちが伝わりやすい「ありがとうございます」は、気持ちが伝わりやすいだ けに、繊細なので、取り扱いに注意が必要です。

さて、現在形の「ありがとうございます」と過去形の「ありがとうございまし た」は同じでしょうか?過去形で言ってしまうと、相手に「もう用件は終わりました。後は勝手に。」 と聞こえる場合があります。せっかくの美しい心が歪んで聞こえてしまうことが あります。これでは寂しいですね。過去のことでも、いまの気持ちで感謝を伝える方が、うれしく響きます。

英語のTHANK YOU に過去形はありませんよね。使い方に気をつけて、現在形 で伝えると「いま私は感謝しています」の意味になります。感謝の心はいつも 「ありがとうございます」で伝えます。
「ありがとうございます」に気持ちをこめて、どんどん使えば、使った人は美 しく見えますし、相手の方も美しく見えますよね。 高価なファションに身を包まなくても、自分の気持ちを言葉にすれば、より美 しく見えるのです。 挨拶も、ありがとうも、現在形で、相手の目を見て、自ら率先して身体を使って、心で伝えます。





肯定的な構え

あるマネジャーがいます。彼は口癖のように「売り上げを伸ばさないといけない」と部下や上司に言います。しきりに言うので、熱意の表れのように思いますが、実際に行っていることは言うほどにネガティブな面に注目して周囲の人々に業績が芳しくないと自信のなさを刷り込んでしまっているのです。

では、どうすればいいのでしょう?もし業績が好調ならゆとりを持てます。結果よりプロセスに目配りできる余裕が生まれます。するとお客様たちステークホルダー(利害関係者)との関係を見直すとか、もっと最適化することに打ち込めます。

つまり本来するべき重要なことにポジティブに取り組めます。目的を叶えることに取り組むので業績は向上してきます。

人は自分が求めているものが分かっていたら手にすることはできます。自然の摂理です。ところがほとんどの人は、このマネジャーのように、否定的な構えを使って求めていないものを求めているのが現実なのです。「引き寄せの法則」をはじめ次々と登場するほとんどの自己啓発はこのことを問題視しています。自己啓発に取り組んでも成果がでないのは、否定的な構えでがんばるので、このパターンから抜けられないどころか、ますます否定的になってしまうのです。

本当に自分の願いを叶えたいのなら、ひたすらシンプルに願いに正直に集中すればいいのです。
だからマンガしか読んだことのない人が、うまくやれてしまうというようなことが実際に起こります。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉が示しているように、好きであれば願いに正直に集中します。実際には好きかどうかは関係ないのです。ただ願いのままに集中しているから叶うのです。

肯定的な構え、つまりポジティブということは、カラ元気ではなく、ネガティブな面に注目せずに、ただ必要なことをやり続けることなのです。

すべてのビジネスはコミュニケーションです。人との関係の仕方です。ビジネスに於ける対人関係とはステークホルダー(利害関係者)に集約されます。これらの人々との関係の仕方がポジティブであることは成功の条件です。当たり前です。誰だって幸せになりたいわけで、否定されたい者はいませせん。

ですから、間違っても先にあげたマネジャーのようにネガティブな側面に集中せずに、WINーWINを実現することに集中します。間違いなく業績が芳しくない人たちはWINーWINに意識はなくWINーLOSで頭がいっぱいだと思います。だからその通りの結果を引き寄せています。

人間関係の仕方には4つあります。
  • 私もOK、あなたもOK
  • 私はOK、あなたはNO
  • 私はNO、あなたはOK
  • 私はNO、あなたもNO

本当に肯定的な構えの人は、人間関係の仕方が「私もOK、あなたもOK」です。
あとの三つはどれも否定的な構えです。否定的な人とコミュニケーションして楽しいわけがありません。つまり売れない、買いたくないという現象が起こって当たり前です。

正しい仕事の進め方はとても大事ですが、まず仕事に就くときの在り方から整えます。
肯定的な構えでステークホルダーとWINーWINを実現に集中しましょう。





企業活動の問題のほとんどはコミュニケーションの悪さに原因が



同じ商品を販売していて結果に違いが出るのは、どんな業界にもあり不思議なことではありませんが、それにしても違いが出るのは、なぜでしょう?

分りやすくするために、安直ですが三段論法にまとめます。たとえば、販売価格が高いのは仕入れが高いから。それは販売力の弱さに起因する。そして、販売力の弱さの原因は、社内コミュニケーションの悪さにある。と、まあこんな感じです。これは事実です。

ビジネスとはコミュニケーション力、人間力は人間関係力です。
いいかえれば、才能という点を繋いで線にして行動しないと成功は困難です。 いくら優秀な人材を集めても、歯車がかみ合わず、個々の力を十分に活かすことができないケースは、思っている以上に多いのです。

逆に優秀な人材の集団よりも、一人一人が十分に自分の力を活かすことができる密度の高い連携をとる人間関係、仕組みを持つ組織が勝ることもあります。「コミュニケーションの力」です。

競争が激しさを増しても、人の本質は変わりません。人はみんな、自分のことを価値あ
る存在と思いたい。そのために生きています。人間関係の力学に適応し、一貫した目的
を持つコミュニケーションが、人を育てると同時に人と人を有機的につなぎます。




2015年2月19日木曜日

人生の真実


まず自分を、次に誰かを、ごまかしても、自分の姿も軌跡も、真実の通りにしかなりません。社会とは鏡なのです。
成功したいとか、幸福になりたいとか、成長したいとか、業績をアップしたいとか、言う前に、あるいは言った後からでも、自分の真実を知り、真実のままに生きることです。そこからしか求めるものは得られないのだから。

なにごとも分解すれば、そこには基本があります。結果を分解すればプロセスがあります。作業を分解すれば動作があります。マニュアルは動作について語らなければマニュアルになりません。無能なマネジャーは結果しか語れません。

基本を疎かにすれば疎かにした結果しか出ません。どうにもごまかしがきかないのです。
基本はシンプルなものですが、基準の高さ、我慢、繰り返し、練習を必要とします。みっちり10年かけた基本と0年の基本では差が出るのが当たり前なのです。これを能力の違いと言います。神は細部に宿ります。

人は経験を重ねて成熟するものと考えられているが大嘘です。それは反省を起点として自己啓発を絶え間なく続ける一部の人の姿を理想に語ったことに過ぎないのです。

人は誰しも人間関係の構えの結果を実証を目的とした自身の運命脚本に則って暮らしていて、年を重ねる程、人間関係の構えを強固にしていき、ドラマチックな最期を迎え、遂に目的を達成します。これこそが隠された人生の目的です。

実に悲しいことですが、この束縛から解放するために人生が用意されていると言っていいのです。つまり人には選択すべき二つの道があります。自分の真実に生きたいと思うなら後者の人生を選ぶことです。