そのプロセスでつくずく思うことは、皆さん、賢いということです。少なくとも努力されている方はみんなそうです。なのに結果につながっているかと言うと必ずしもそうではない。それはどうしてでしょうか?先日も実験ばかりで、事が何も進まないような気がしてるんです」とある経営トップが嘆いておられました。
ところがそんなことになるのでしょう。
ひとつは、みなさん、賢くて一生懸命に考えておられます。理に適っていてとっても合理的です。しかし大局に立ち、全体をつないだら必ずしも合理的ではない。不合理なのです。
ひとつはPLAN→DOまでは確かに実行されますが、その先がないCHECK→ACTIONがない。特にACTIONがない。やってみたけどダメだったで終わりです。ひどい場合には、話をしただけで、終わっている。
そして、もうひとつ。
無意識の発言と、説得力のない無意識の内に誰からか学んだ正論と「その通り」の気持ち。つまり五感を通して入ってこない本心の見えない心。
もっとあるのかも分りませんが、もっとも大きな不思議。
だからスティーブ・ジョブズ氏の「ハングリーであれ、愚かであれ」が響き、胸に沁みるのではないだろうか?
マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。
その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。
<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。
個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。
さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。
もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。
ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。
Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。
たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。
「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。
利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)
この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。
<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。
さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。
セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。
<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。
本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。
それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。
ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。
日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。
Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。
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