あるカフェでアルバイトとして入店したヒロシは飛びっきりのセンスを発揮していた。
なによりヒロシが際立っていたのはチーム力のセンスだ。
優れたセンスを見て取ったエリアマネジャーは、彼を正社員にして、他店のサブマネジャーに就かせた。
そして彼の仕事の動作をメモしていった。
エリアマネジャーは、自身の上司に書き留めたメモをもとに説明をした。さらに上司の目で直接観察してもらうために現場に呼んだ。二人の上司はさりげない訪問の形をとり、ヒロシの仕事を観察した。
彼らの目にもヒロシは生まれながらのリーダーのように見えた。
なにがヒロシを生まれながらのリーダーにしていたのだろうか?
エリアマネジャーとその上司二人は、感覚ではなく言葉に置き換えるために分析した。
一番目に、まずなによりも、ヒロシはどんな問題にも、どんなときにも、一歩先、二歩先を見ていた。ほかの店とは違って、資材が届くのを待ったことはなかった。いつも欲しい時にはすでに調達してあった。
後でインタビューしたときに分ったことだが、その段取りのよさの目的は仲間が働きやすい環境を作ることにあった。それはお客さまに不便をかけないための必須だった。彼には人間はみんな対等だという意識があり、それを現実にするためにどうしたらいいのかについて自分で考えた結論が「段取り」に集約されていた。
二番目に、ヒロシには自分がどうしたいかというビジョンがあり、それは正確に伝達されてあって、誰もが同じように理解していた。
ヒロシにはうまくできない原因は指示する者にあるという強い思いがあった。指示する場合には、できるかできないか、スキルの確認が先であり、スキルが不足していたなら補充してから指示しないと失敗はすでに決定的なのが当たり前だと知っていた。スキルかあってやる気の前提条件だと考えていた。誰に言っても同じように理解できない表現は表現そのものが間違いであり、指示する者の責任は明白だ。
三番目は、ヒロシ自身が流す汗に表われていた。
指示は過酷な場合がある。自らが汗を流さないと過酷に挑戦しようとしないのは当然だと考えていた。だから誰よりも汗を流すことを信念にしていたのだ。
四番目は、大局観があり、客観的に自分のことも客観的に知っていた。
店長にならないかと打診されたとき、ヒロシは言った、
「本当は、自分の手でやるほうが好きなんです。」
インタビューで分ったことだが「大局観」の出所は矛盾に対する認識の仕方にあった。「清濁併せ呑む」ということわざがある。広辞苑によれば善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。とある。度量の大きさを指すことも多い。矛盾を受け入れることは矛盾のまま押し付けてできることでない、それは暴力だとと熱く語る。
「清濁併せ呑む」のが優秀な社会人だと押し付けたとしたら、矛盾の強制でしかない。ヒロシに言わせると「清濁併せ呑む」とは、矛盾が解決された状態だと言う。矛盾を受け入れることは、それぞれの思考回路を通過してそれぞれに理解できた上での結論でしかないと語る。考え方の集積で矛盾は解決される、それはアートのように美しい円を描くという。
矛盾を解決して、円を描く求心力になるのが組織の目的だと言う。どのような組織にもその活動にはいろんな要素が絡んでいて因果関係がある。この因果関係が、あちら立てればこちらが立たずという現象の原因にある。
なぜそうなるのか、それは因果要因が目的と一致しない考え方があるからだと言う。もし因果要因のすべてが目的と一致していたら矛盾は解決される。一致していないから矛盾があり、それを解決するために矛盾を受け入れろという。なんとも乱暴な話だと言うのがヒロシの自論だ。
そうではなく、因果要因のひとつひとつがある方向に集中的に向いていたら、それぞれの要因は矛盾がなくなる、矛盾があるのはそれぞれの要因がバラバラの方向に向いているからだ。だから正しく機能するように因果要因のひとつひとつに正しい考えを浸透させて、つなぎ直していくことがリーダーの仕事だと自論を展開した。
なにをしたいのかという目的を持たないチームに矛盾が満ちているのは当たり前ですよと語った。
三人はリーダーシップとはなにかを思い知らされた気分になったという。
ヒロシは数ヶ月前まで、正社員につきたいばかりを考えてアルバイトにも就かずにいたフリーターだった。
2011年6月5日日曜日
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