人は社会的な動物です。つながりを求め、共同体に帰属したいと思いますが、それは関係を良くするために自分を抑圧することを意味します。自分をあからさまに表現すれば摩擦が生じるからです。つまりストレスが生じることを余儀なくされた生き物だということです。
この問題を解決してくれるのも共同体です。大きな共同体ではルールが複雑になりストレスも増えます。小さな共同体ではルールもシンプルですみます。家族はそのいい例です。自分をさらけ出しても、受け入れてもらえる共同体は安心できる場所です。家族の絆は血でつながっていることで無条件で受け入れることが暗黙のルールになっています。
血のつながりはないものの、会社での「課」というのも家族に通じる共同体と見ることもできます。家族のようにこれと言った会話がなくてもそこに仲間がいるだけでほっとできるチーム。目標があるからそういうわけにはいかないと思いがちですが、「私たち」という概念を浸透させれば変わってきます。個々の問題を取り扱うチームではなく、「私たち」の問題を取り扱うチームに変えれば、安心感が育まれます。安心感の根拠はひとりひとりのスキルアップですが、それにしても個々の問題ではなく、助け合う。助け合うのはできないから助けるのではなく、出来るようになるために助け合う。
つまり同僚がコーチなのです。自分の価値観に従い、チームとしての結果を出す。あるいはチームの価値観に従い、個人としての結果を出す。どちらかを選ぶことはできないのです。重要なのは結果を出すこと。結果を出せる「私たち」であるために個人はどのように関わればいいのか、お互いの計画を批判し合いながら、それ以上に重要なのは、お互いの計画を自分のものとして責任をもって関わる。そのためには同僚がコーチにもなる。自律したチーム。
人は自分に正直でありながらも、誰かの役に立つために生きていきたい動物。それが社会的な生き物ということです。ただ共同体に帰属するのではなく。。。 矛盾を解決してやれるチームが家族的なチームになれます。
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