2010年6月1日火曜日

自分と周囲の人を尊重し励ます

このカップを洗っておいてください」
「はい、洗っておきます」

これはコミュニケーションでしょうか?

コミュニケーションとは価値観にぶつけあいです。
ぶつけあいというと戦闘的ですが、主体性が強いほど当たり方も強いのが普通です。

それを柔らかく相手が傷ついたりしないように、上手にぶつけあうのがコミュニケーションです。ですから「意見がくい違うから話できない」としたら、コミュニケーションの前提がなっていない。

 自分に主体性があるように、周囲の人にもそれぞれ主体性があります。意見のくい違いは、客観的にみれば意見の間違いの発見にもなりますが、客観的な立場に立てるのは、自己認識ができるからです。

 自己認識が出来るのは、数多くの他者の意見や考えをもとにして、ひととの違いを発見するからできるのです。

 周囲の人を尊重し励ます力は、自分を尊重し励ますことから可能になります。ホスピタリティの概念とつながっていて、ホスピタリティそのものと考えてさしつかえありません。それも自己認識によって他者との間に境界があるからできることです。

自分を大切に扱えない人が、周りのひとを大切にしたいと考えても、どうしていいか分からない、その大きな理由に境界があやふやな問題があります。

境界があやふやだと、他者の感情を自分のものとして受け入れてしまう危険があります。
依存と深く関係しているその問題はのちほど詳しく説明します。

 目は口ほどにというように態度、表情も含まれますが、コミュニケーションの基 本は話すことです。

 できるだけ相手に分かるようにコミュニケーションするために書く力も含めて「話す力」は重要です。但し、どんなに言葉にして話しても分からない、通じ合え ないのがひとのコミュニケーションです。

 それは言葉の解釈も違うし、イメージも違う、個々の体験とまつわる言葉のイメージも違うからです。自分と違うから、自分には分からないから、熱意をもってコミュケーションしょうとすることがコミュニケーションといえます。

 通じ合えないからこそ、自分もOK、他者もOKと互いに肯定することがとても 大切なことになります。

 どんなに言葉、態度、表情が通じなくて、あなたを大切なひとですと受容する心は、直感で通じるものです。自他肯定のポリシーによる「自分と周囲の人を尊重し励ます」働き方は、あらゆる土台になります。

どんなにお金持ちになっても、有名になっても、自他肯定の交流パターンを自然な状態で身につけない限り幸福にはなれません。

仮に他人はどうなってもいいと思って暮らしていても、無意識の内にストレスが自分を痛めます。その原因が分からないままに、ストレスの解消に、娯楽や消費 にエネルギーを使っても、終わりはなく安らぎはありません。

 さらに環境問題に対する基本になります。コミュニケーション能力の発達に、抵抗するエネルギーはこどもの頃の古い構え「自分にはできない」です。成人した、いまとなっては適切でないし、通用しま せん。

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