2013年6月27日木曜日

ビジョンでフレームを壊す。



ビジョン、あるいは夢。生命の泉から自然に湧き出るエネルギー、つまりあなたそのものの噴出の邪魔をしているのが、他ならないあなたが他者から受け取ったゴミから生じた人生脚本、つまりあなたのフレームなのです。

あなたはこのフレーム(生きる構え)を使っている限り、 生命の泉から自然に湧き出るエネルギーを使えないので、自分の人生のある場所で暮らしていくことができないのです。

でも、決して悲観しないでください。ほとんどの人がそうだからです。だからといって安心に踏みとどまらず、自分を自由に動かせてあげてください。多少危険があったとしても、あなたの中にある知恵と勇気を使ってあげることで、一歩一歩進んでいくことができるからです。

人生は旅と似ていて、行き慣れた土地には安心があり、知らないところは安全かどうか分からないので、知らない場所に行くのは怖いものです。でも驚きは大きな喜びです。すでに知っていること、体験済みのことに、人は驚くことができません。驚きのない暮らしはいつの間にか自分からみずみずしい感性を奪って行きます。

ツアーで海外旅行に行ったとしたら、みんな同じホテルで同じ高級料理を食べる。ホテルの施設で過ごし観光バスで周遊して同じ場所で過ごし、お土産を買う。ガイドブックに書かれていること確認するようなツアーのような人生を過ごして、本当に楽しいはずがないのです。

不安を恐れるのは失敗をイメージするからです。失敗には敗北のイメージがあり、死のイメージがあります。一連のイメージに束縛された途端、毛嫌いし、安易な方法でイメージから逃れようとします。自然で健康な反応ですが、元を正せば不安に弱いだけで、その対処方法はビジョンを持つことなのです。

ビジョンのある人生には、ロマンそのものである理想主義がありますが、ビジョンのない人生にはあきらめが前提とした宿命主義があります。つまり主体性がある人生か、そうでない人生があります。あなたとどちらを選択しますか?

主体性を失えば、ハードワークを毛嫌いし、楽に過ごせることを選択します。知らず知らずに人々の幸せに目もくれなくなり、自分のメリット中心になります。無意識の内にパートナーに幸せにしてもらうことを考え、パートナーを幸せにしょうとポジティブに関わらなくなります。その代わりに生き甲斐よりもやり甲斐にこだわり、思いつきで募金に協力し、作られたドラマに涙し、プロスポーツの応援に一体感を覚えます。主体性を失えばどのような経験も結局は疑似体験でしかないのです。

しばしば私たちは「人生は理屈どおりにはいかない」と言いますが、そう言うときの理屈は、へリクツ、こじつけ、プライベートな感想のことで、それは体系化された理論のことではありえないのです。

人生は悲観的になるものでもありません。他人のネガティブな意見に耳を貸すより自分を信じて出来る限りの努力をしたらいいのです。決して他人が信用できないということではありません。自分を信じたいではありませんか。その時に役に立つのが努力して夢を叶えた人々の在り方です。もう自分は精一杯の努力をしたと思ったとき、まだまだ十分にしていないことに気がつきます。気がついたら、考えても仕方のないことを考えず自分を信じて進めばいいのです。

ライフスキルとは、自分を信じる力だと言えます。つまり未熟であっても、自分はなれる最高の自分になることができると信じることができれば、未熟さはエネルギーの源泉となって自分を成長させてくれます。成長が乏しく、欲しいものが何か分かっていない人に欲しいものは手に入りません。理由は簡単です。集中しないことは経験しないからです。ビジョンは欲しいものを明確にすることです。イメージできるのは集中するからです。

自分のビジョンを大事にしてイメージに高めてください。 あきらめているとイメージが明確にならないのでどうしていいのか分からないので、あきらめに拍車がかかります。拍車がかかると「人生は理屈どおりにはいかない」と分かったような顔をして平気で言うようになります。

イメージにする方法はビジョンに関連したテーマひとつひとつを具体的にしていくことです。道は開けます。あなたは歩かずにいられなくなります。今まで使っていたフレームは壊れます。


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