2010年6月19日土曜日

努力するほどモチベーションは下がる?

 道に迷ったとき、大事なのは、努力することではなく、道を知っていることです。

 それと同じく、目標が達成できるのは、努力の多嘉ではなく、達成に必要なことの実行にかかっています。ですから、目標を達成するには、達成に必要なスキルを有していることが条件になります。

 努力が必要になるのは、「スキルを身につける」という具体的な「事」と「時」のことです。精神主義的な努力の奨励では、このことを勘違いしていて、奨励の矛先は「結果」に向けられています。

 スキルを身につけることに努力しないで、目標達成に努力するとうなるか。結果は行動の結果でしかないので、行動が間違っていたら、思うような結果が出るはずはありません。

 それでも、道理を無視して、誤った努力の奨励に暴走して、努力すれば努力するほど、今度はおかしなことになっていきます。お客さま相手だとお客が逃げ出すことも生じてきます。道理を無視すとは、世の中の仕組みを無視していることに他ならないからです。必ず迷惑している者がいるからです。

 やってもやっても成果も成長もないまま、やがて疲弊して、モチベーションが上がらないばかりでなく、放置しておくと、モラルが低いという問題に向き合うことになります。

そんなことにしないように、大事なことがあります。

 現在、自分が持っているスキルの棚卸しをして、目標達成に必要なスキル、不要なスキルを見える化します。

 じぶん力を見える化するのです。目標達成に不要なスキルは横に置き、達成に必要なスキルだけを並べて、その上で不足するスキルを並べる。これを身につけるようにします。自己啓発の基本です。

 そこで問題が浮上します。目標達成に不要でも、好きなことに関するスキルなら自然にアップできますが、必要であっても関心が持てないスキルの向上のプロセスはストレスの原因になります。

 しかし、この状態のままにしておくと、何をしていいのか分からない人になります。なにをするにしても中途半端に感じて自己効力感に不足を感じます。何でもやれそうで、何にもできそうにない感覚に陥ります。可能性があると言えば聞こえがいいが、裏付けがないので、正直リアリティがなく、可能性とは感じないのです。

 大事なことは、したか、しなかったか、しているか、していないか、4つの事実だけです。リアリティもこのなかにしかない。

 可能性を云々するときに、根拠にするのは、したか、しなかったか、しているか、していないか、の事実だけに求めないと、妄想になってしまいます。「できるけれど、していない」というのは「できない」ということなのです。これを本当の意味での可能性にするには、「できないけれどしている」状態に変えない限り可能性は現実のものになりません。

 ある会社の幹部がこんなことを言ってました。
 「利益が出なくなり売上も落ちたら、みんな本気で目標達成に取り組んでくれるだろう」その時、私は「茹で蛙」の話をしましたが、案の定、会社は潰れました。

 「茹で蛙」の話をしたら、みんな理解を示します。しかし、理解を示した人が「茹で蛙」になるのは、「できるけれど、していない」を「できるけれど、していない(だけ、だから)できる」と都合のいい「可能性」に置き換えて解釈をしているからです。

 「できるけれど、していない」のは、「したくないから、していない。」あるいは「できないから、していない。」からです。もし、そうでなかたったら「しています。」

 もちろん、「できるけれど、していない」場合もあります。この場合は、しないほうがいい、あるいはどうでもいいと判断しているからです。だから、「できるけれど、していない」というニュアンスの言葉は出てこないし、しないほうがいい理由も具体的、かつ説得力があります。

 問題を先送りする人は、問題が深刻な事態になるほど機能しなくなります。何かのキッカケで価値観が変わることもありますが、価値観が変わってもスキルがないと行動の結果は無惨です。

 このことは、必要なスキルが身につけば価値観が変わることを意味しています。つまり現実がやまびこのように答を返してくれるのです。

 必要なスキルと、必要でないスキルを整理して、自分のスキルを見える化する。その作業は、現実の世界に身を投じる最初の一歩といえます。

 個人の場合もそうですが、特に組織の場合、問題になるのが、なにが必要なスキルなのか、分かっている人が組織に誰もいない場合です。でもそれに直面して事実を受け入れるると、遅くさえなければ間違いなく発展のチャンスになります。

 何をしたらいいのか、何をやめたらいいのか、という問題は、限られた時間内で生きている人間にとって、重要なテーマなのです。

 モチベーションの高さは、必要なスキルに比例はしませんが、スキル獲得の欲求とは比例しているのです。
(知識・技術要因 http://www.genkipolitan.com/mo /tisiki.html)

 必要なスキルを明確にして、スキルアップに具体的な努力ができるtと、モチベーションはアップします。

2010年6月8日火曜日

自分を劇的に変えるために、プロセスに注目できるスキルを高める。

自分を劇的に変えるために、プロセスに注目できるスキルを高める。

 「よし、やるぞ!」とやる気いっぱいになってスタートすれば、誰でも目標達成が可能になるかというと、そうはいきません。

 気持ちは常に揺れ動いているのが普通で、「あれだけやる気になっていたのに」と言われるように、いつの間にかモチベーションが下がっていることがあります。

 いつの間にか、したいことがしなければならないことに変わっていないかに注意したいものです。

次の5つの設問をチェックしてみてください。
1 目標達成に向かうよりリラックスする必要を感じる YES,/NO
2 疲労やストレスでなにもしたくないと思うときがある YES,/NO
3 人にして欲しいことがある場合はすぐにして欲しい YES,/NO
4 緊張、疲労、不安を感じるとアルコールを飲んだり食べたくなる  YES/NO
5 イライラするとモノを乱暴に扱うことがある YES/NO

 可能性の否定、達成できそうにないという不安、満足感が得られない不安などネガティブな感情が、自分も知らない隠された動機にマイナスのストロークで働きかけても、感情として処理してしまえば、それまでのことです。
 それにしても処理を間違うと、寂しい、つらい、面白くない等、場違いな感情を呼び込びます。

 適切でない感情によって、感情的な行動を呼び込んでしまうと、心のコンディションはバランスを崩します。
 内なる不快感の連鎖が、意志を打ち砕き、なんでもないことさえ億劫になったりして、行動の邪魔をします。
 感情の邪魔によって、「したいこと」が「しなければならないこと」に変わってしまうのです。

 したいことと、しなければならないことの間には、随分距離があります。思いがけない距離のズレは感情によって始まり、感情的な行動によって固定してしまいます。

 感情的な行動は好ましくないけれど、感情は素晴らしいものです。
 昔から人々の心をとらえてきた歌、映画、小説などは、ほとんど感情に訴えるものです。
 人々を奮い立たせることもあれば、癒してくれることもあります。

 もし感情がなければ、喜びも悲しみもなく、殺伐としたものになります。
 それにしても感情には、好ましい感情もあれば、人を痛めつける感情もあります。
 人間を蝕み、目的の達成を阻むのも感情である場合が多いのです。
 緊張やストレスに耐える力は人によって違います。
 耐久力が弱い人ほどネガティブな発言、行動が多くなります。

 なぜ、こんな簡単なことができないのかと不思議に思うことも多いと思います。 感情が揺れ動いて、エネルギー不足を引き起こした結果、バランスをとっているからです。



■集中力の邪魔をするもの


 今日は”あること”に集中するぞ!と思っていても、急に予定を変更してしまうことはありませんか?

 自分のやりたいことがあっても、緊張やストレスがあるとネガティブな感情が働きだしやすくなります。
 エネルギーバランスが崩れると、無意識に緊張を和らげるようとします。
 意志とは関係なくストレス、緊張を和らげてエネルギー不足を調整します。
 関心が移ってやろうとしていたことが忘れられてしまいます。

 ですから、ストレスを感じるときには、周りの人からの依頼や誘いがあったりすると、取り掛かっていた作業を中断する口実が出来て、自分への言い訳ができて好都合なのです。

 それにしても、こういうことを繰り返していると、人と人の間にある<境界>がぼやけます。
その上、気分転換が多いと、集中力は分散しがちです。

 時間管理の本や手帳などがたくさん出版されているのは、時間管理が思うようにできない人が多いからです。
 時間管理術をいくら学んでも実行できないのは知識不足というより、感情のコントロールができないのが問題なのです。
 感情を「しなければならない」という理屈でコントロールしょうとすることに無理があるのです。

 感情には感情で対処するのが自然です。
 自分に好ましくない感情が起これば、好ましい感情で対処するのが効果的です。

 好ましい感情とは、楽しい、うれしい、おもしろいなどです。
 悲しいときに、怒っているときに、不安なときに、そんな感情を持たせるのは至難の技です。

 それでも、好ましくない感情が自分にどれほど悪影響を与えるのか知っていれば、行動をコントロールできます。
 たとえば、「したいこと」が「しなければいけないこと」に変わってしまう境界の乱れを自分が作っていることを知っていたら、感情の変化を防げなくても、感情の洪水は防げます。踏ん張りが利くようになるのです。


 プロセスにこそ喜びがある。

 さらに、夢、目的があれば、好ましくない感情はとるに足らないこととして、小さく出来ます。

 ・ ・・・「どうせ私なんかに」・・・自分の価値を引き下げ、夢を砕くのは自分。
 叶うか叶わないは別にして、夢を見たり、追うことはよくないことではない。
 夢の実現に重きをおくのではなく、夢を追うプロセスにこそ自分が存在すると考えるのは悪いことではありません。

 心のコンディションをどのように整えるか、人それぞれのやり方があるます。 自分のやり方を見つけておくと有効です。
 誰でも、その時々でコンディションが変化します。

 一流といわれる方も同じです。
 彼らが一流に昇りつめ、維持している裏には、常にベストコンディションを保つように工夫があるからです。

 たとえば高額の報酬を受け取るイチロー選手の昼ごはんは毎日カレーライス、遠征先では同じピザ。やりたいこと以外の余計なことに神経を使わないのは、心と身体のベスト・コンディションを保つための配慮です。

 求める結果を出すことを最優先にした暮らしの知恵は、自分を律することから始まっていることが発見できます。
 感情を感情で対処するレベルではなく、さらに踏み込んで知識を感情レベルに落とし込んでいます。
 自分の「やり遂げたい」気持ちが雑念とともに、どこかに行ってしまわないように、注意深く監視して過ごすから、やり遂げるよろこびをつかまえることができると言えます。

 目標を達成するにはプロセスに間違いがないが注意深い注目の維持が欠かせません。
 それを大変だと考えがちです。
 でも、目標達成のよろこびの正体を知っていたら、感じ方は変わるでしょう。
 達成そのものから得られる喜びより、プロセスを自分が自分を律し抜いたよろこび、そのものの方が大きいのです。

 達成そのものは一瞬の喜び。プロセスは永遠の喜び。

 その障害となる最大の壁が感情なのです。
 感情は人間をもっとも人間らしいものにするものであっても、もっとも人間を苦しめるものなのです。
 感情的な行動で「自分」を台無しにしないようにしたいものです。
 プロセスを永遠に楽しめるように、プロセスに注目できるスキルを高めましょう。

2010年6月1日火曜日

自分と周囲の人を尊重し励ます

このカップを洗っておいてください」
「はい、洗っておきます」

これはコミュニケーションでしょうか?

コミュニケーションとは価値観にぶつけあいです。
ぶつけあいというと戦闘的ですが、主体性が強いほど当たり方も強いのが普通です。

それを柔らかく相手が傷ついたりしないように、上手にぶつけあうのがコミュニケーションです。ですから「意見がくい違うから話できない」としたら、コミュニケーションの前提がなっていない。

 自分に主体性があるように、周囲の人にもそれぞれ主体性があります。意見のくい違いは、客観的にみれば意見の間違いの発見にもなりますが、客観的な立場に立てるのは、自己認識ができるからです。

 自己認識が出来るのは、数多くの他者の意見や考えをもとにして、ひととの違いを発見するからできるのです。

 周囲の人を尊重し励ます力は、自分を尊重し励ますことから可能になります。ホスピタリティの概念とつながっていて、ホスピタリティそのものと考えてさしつかえありません。それも自己認識によって他者との間に境界があるからできることです。

自分を大切に扱えない人が、周りのひとを大切にしたいと考えても、どうしていいか分からない、その大きな理由に境界があやふやな問題があります。

境界があやふやだと、他者の感情を自分のものとして受け入れてしまう危険があります。
依存と深く関係しているその問題はのちほど詳しく説明します。

 目は口ほどにというように態度、表情も含まれますが、コミュニケーションの基 本は話すことです。

 できるだけ相手に分かるようにコミュニケーションするために書く力も含めて「話す力」は重要です。但し、どんなに言葉にして話しても分からない、通じ合え ないのがひとのコミュニケーションです。

 それは言葉の解釈も違うし、イメージも違う、個々の体験とまつわる言葉のイメージも違うからです。自分と違うから、自分には分からないから、熱意をもってコミュケーションしょうとすることがコミュニケーションといえます。

 通じ合えないからこそ、自分もOK、他者もOKと互いに肯定することがとても 大切なことになります。

 どんなに言葉、態度、表情が通じなくて、あなたを大切なひとですと受容する心は、直感で通じるものです。自他肯定のポリシーによる「自分と周囲の人を尊重し励ます」働き方は、あらゆる土台になります。

どんなにお金持ちになっても、有名になっても、自他肯定の交流パターンを自然な状態で身につけない限り幸福にはなれません。

仮に他人はどうなってもいいと思って暮らしていても、無意識の内にストレスが自分を痛めます。その原因が分からないままに、ストレスの解消に、娯楽や消費 にエネルギーを使っても、終わりはなく安らぎはありません。

 さらに環境問題に対する基本になります。コミュニケーション能力の発達に、抵抗するエネルギーはこどもの頃の古い構え「自分にはできない」です。成人した、いまとなっては適切でないし、通用しま せん。