2013年10月16日水曜日

働きがいのある組織が収益を向上する理由


「企業は人なり」とずっと言い伝えられてきました。その意味は人が企業そのものだという意味です。しかし、それを本当に実践してきた企業はどれほどあるでしょう。無関心ではなくとも、実際に十分な手を打って来たかというと大いに疑問です。特に最近では正社員が減るに伴って「企業は人なり」という言葉自体を聞く機会も激減しました。

実態は顕著です。人が育って来ない会社には際立った特長があります。自社でしか通用しない人的ネットワークとスキルばかりを身につけることに明け暮れて他社でも通用する人材育成をしていないのです。それは自社の将来を担う人材を育んでいないことに通じます。

それは「信頼関係」が構築できない原因になります。あるいは歪んだ信頼関係を創ってしまう危険があります。物事や状態を俯瞰できない人の集団になる可能性が潜んでいて、将来の可能性を自ら閉じてしまう可能性すらあります。

信頼関係が構築できない場合には、会社の都合で物事を運んでも良いという判断が日常化してしまいます。歪んだ信頼関係を創ってしまう場合にあっては、俯瞰できない管理者の個人的な判断で物事を進めていくことを疑問視しない傾向があります。理不尽を理不尽と気づいていないので、辞めるのは異常だとしか考えない。いわゆるブラック企業と呼ばれるのは組織にはこのパターンが多い。

ブラック企業の経営者は自社をブラック企業と思っていないものです。フロー状態を期待しているだけだとしても信頼関係がなければ共有することができないので理想だけが暴走することになります。

それを増長させているのは、我慢して理不尽に耐えても辞めない方が良いという従業員の判断があります。このような状況でモチベーションが得られたのはどういう人種か、なにより優秀な人材とはどのような人材かを明確にせずにしていると組織は望む形にならないばかりか、望む形とは相容れない組織を創ってしまう危険があります。

優秀な人材とは、組織に貢献する人です。では貢献とはどういうことなのでしょう。貢献とは、利益さえあげればいいのでしょうか、トップの望むことが自在にできる組織作りに寄与することなのでしょうか。これだけでも随分違います。信頼関係の基盤は、どうあれば組織に貢献しているのかを共有(シェア)していることです。共有(=シェア)の解釈にも注意が必要です。

成果主義が破綻した会社は少なくありません。誤った運用をしたからです。目標達成を個人の責任にした結果主義を成果主義と呼んだケースが多発しました。あるいは成果主義を避けた会社も多い。それも誤った選択です。

成果主義とは、プロセス重視であり、プロセス通りに行えば、予め約束した結果を出せることが重要であり、それこそが共有の要である。仕事の仕方を個人任せにして、実態はやってみなければ分からないという曖昧のまま、望む結果だけを押しつけ、達成できない場合は達成率で測るというのは単なる「放任」でしかなく、そこには共有の土壌すらありません。

自律できるから任せられる。自律できないから任せられない。任せられないのに任せたら放任です。 優れたベンチャーが過酷な状況で働いていても嬉々としてフロー状態でいるのは自律しているからです。難しいテーマのようでも、どうすれば楽しい職場になるかははっきりしています。

プロセス通りに行えば、予め約束した結果を出せるスキルが必要になり、それを共有できることが個の尊重に発展していきます。フロー状態への支援であり、学びであり、言われるままに動く状態からの脱皮であるからです。これこそが自律型マネジメントの核心部分です。

どうすれば継続的なフロー状態を実現する場を提供してやれるか、これこれが働きがいのある組織のメインテーマです。フロー状態を具現化するには、自分がどうしたいのか、目標を持ちどうすれば自分の仕事がうまくいって達成できるのか、知っていて実行できる環境が提供されるからです。この仕組みの提供がよりよい社会作りに提供されることになります。

自律は尊重されていると感じる重要な要因です。自律できるから働きがいが生まれ楽しくなり嬉々として帰属意識が生まれ組織に貢献しょうとするエネルギーが湧いてきます。

裏返すと共有のないところに個の尊重があるわけもなく帰属意識が高まることもありません。希薄な帰属意識のもとで組織に貢献しょうとするエネルギーは生まれません。

共有には約束した結果を出せるように真の従業員満足とは、働きやすさ×働きがいのマトリクスで描けます。

0 件のコメント:

コメントを投稿