2011年11月19日土曜日
それにしても、なぜマニュアルレス。なぜマニュアル
電化製品を購入するとマニュアルが付帯しています。機械的な操作をするためのマニュアルとサービス業のようにコミュニケーションするためのマニュアルの間には、使う人の意識に違いがあるのが普通です。
良好な人間関係を築く現場、自律した活動が要求される職場では、マニュアルはあくまで補助的なものです。
マニュアルレスを標榜する時代に、いまどきマニュアル通りなんてナンセンスという声もありますが、言葉でやりとりをした場合、10人に話せば10回とも違う、10通りの内容の伝達が起こるのが現実です。
このような問題があちらこちらに潜伏しているのも事実、文字は伝達の限界を越えるときに、マニュアルは力を発揮します。
マニュアルの効用は報酬面にもあります。自分のランクアップと報酬が連動している仕組みでは、マニュアルの○番~○番まではクリアできた。あと○番~○番までクリアすれば賃金アップになると知っていると、モチベーションアップになります。本人が現在のポジションを知り、成果への距離をイメージする点でも効果的です。
上手に使えば競争力、人材育成、コストパフォーマンスで効果を発揮しますが、ヘタに使うと同じ点でデメリットにもなります。
マニュアルレスの自律型マネジメントがもっともおすすめですが、安直な「だからマニュアルはダメなんだよね」ではなく、マニュアルの功罪を知って、活用できるようになることが欠かせません。
マニュアルの定義
●マニュアルとは、作業の正しい手順を指示する書類のこと。
●作業の観察と検証を繰り返した結果、最も良いと判断した手順を基準の作業手順に設定し
●予め用意した指示書及び指示の方法を示した
●工夫の限りを尽くした手順であること
●それはより確実に、より楽な気分で、仕事を進められることを目的としていて、
●指示された通りに活動するのが仕事であり、報酬の第一歩です。
●マニュアルは報酬の入口とポジショニングし、努力目標として活用できる職場環境の整備と一体でないと機能しないものです。
●マニュアルは報酬の辞書、マニュアルレスは辞書なしで仕事できるスキルです。
標準化を進めるマニュアル
●マニュアルは行動についての規格です。
●その普及を継続的に行うものです。
●定期的な規格の修正と追加が欠かせません。
●繰り返し徹底することで、プロセスすべてが生きてきます。
努力目標とマニュアルのポジショニング
●マニュアルは作業の効率化を追求していますが、手順を示したものでしかありません。つまりマニュアルの活用が実際に起こるには、正しい作業をしなければならないのです。あるいはしたいという環境がなければ絵に描いた餅でしかありません。
●使われないという声が出る職場、マニュアル通りに作業しなさいという指示が通用しない職場、これらは労務管理の破綻が生じていることを意味します。
●使いこなそうとする「努力目標」なしに、マニュアルは定着しません。ですからマニュアルは評価尺度、報酬の算定基準、教育のカリキュラムと三位一体に連動させることが合理的な努力目標になります。
●「NO1~24 のマニュアルは基準通り、あるいは以上に使いこなせるが、No25~30のマニュアルは使いこなせない、 あといくら報酬を増やしたければNO6 のマニュアルを使いこなせるようになりなさい」と具体的で達成感のある努力目標を説明でき、相談に乗ってやれる環境の整備が必要です。
スタッフ個々のパフォーマンスと報酬とのマッチングが欠かせません。この場合、 注意したいのは、 評価尺度、報酬算定の基準は本社で用意したが、指導のルールと併せて教育カリキュラムとして現場で使用しない問題です。実は結構多い。この拡大版が「成果主義導入したもののうまくいかない悩み」なのです。
●「指示された通りに活動するのが仕事であり、報酬のはじまり」というのが管理者と部下の原点です。
●勝手にこれが仕事と思うことをしている会社(実際にこのように言うことがなくても、現実になっている組織は少なくありません)では、マニュアル、マニュアルレス以前の問題を解決しなkればなりません。
●問題は指導される側より指導する側で起こっている場合の方が多いのです。
マニュアルとマニュアルレスの関係
●マニュアルは、正しい作業手順についての一定の段階までは、絶対的な条件や方法を示すものですが、その後はいくらでも能力向上が出来るものであることを明確に伝えておき、全員が認識しておく必要があります。
●これは 評価尺度、報酬の算定基準、教育のカリキュラムの三位一体を整備すればいいということではなく、なにを目的として、どうなれば目的の達成なのか明確でないと実現できません。 「マニュアル人間」と蔑視されるような接客態度は、この認識不足と教育不足によって起こっていることが表れたことを意味します。
どうなれば目標達成なのか
自律心を育み、自律型マネジメントがトップの思うような状態で実現できることです。ここでいう「無始無終」の概念を理解していただけたらと思います。
指導のルール
●「いまこの瞬間」に集中できるスキルを身につけることをめざす
●挑戦させる
●怖がらない
●気後れさせない
●プロセスに注目し、プロセスの行動を称賛する
●失敗や挫折を責めない(2度同じ失敗は別)
●挑戦しない人を徹底的にマイナス評価する
●育成中の評価の最大の尺度は結果よりも「プロセス」で行う
●できない理由よりできるやり方を課題にする
●「○○しないからできません」ではなく、「○○すればできる」と表現させる
●「なぜ?」よりも「どうしたら?」と訊く
● 「できない理由」 に 会社の風土が露骨に表れている
マニュアルは自律型マネジメントの補助として正しく運用する。
野球とサッカーでは、指示のタイミングがまるで違います。野球は一球ごとに指示が出せますが、サッカーはまとまりに対してしか出せないスポーツです。一度ピッチに入ればベンチからは指示できません。選手同士が「あうん」の呼吸で動きます。
自律型マネジメントは、サッカーと同じです。
もし、どちらでも選べるとした場合、あなたはどちらを選びますか?
●顧客の期待と要求レネルがあがっている現在、2010年代に必要なマネジメントは、個人の主体性に任せるサッカー型なのです。そこにはひとりひとりの輝きが期待できます。機械ではなくひとりひとりの個の発見を通して、心を通わせて行くプロセスがあります。マニュアルから解き放たれた自由の一方で自分が責任をとるというプレッシャーがあります。それを自覚できない者にはマニュアルに束縛されます。
●しかしプレッシャーと向かい合って、決めたことを責任をもって自分がやり遂げるとき、満足感は自分にダイレクトに返ってきます。打てば響く実感を個々がお客さまとともに感じることができます。共同体に鐘が鳴り響く瞬間を迎えます。自分から自分へ、自分から他者へ、他者から自分へ継承され続ける限り、始まりも終わりもなく、心地よく鐘は鳴り響き笑顔がこぼれます。
●自分の判断でなく、マニュアルに定めてあることをただそのまま接客するのと比べて、人が自分で判断して接客していると自然な印象を受けるものです。「挨拶をして普通に会話したらできるはず。」・・・経営者なら誰でもそう思います。しかしそれを励行しようとしたら、できないので、マニュアル通りにやるしかないと判断してマニュアル全盛になったのです。さらに企業内成功者が成功体験をもとに効率を求めて水平展開したことが、マニュアル全盛になりました。
●マニュアルやルールにがんじがらめにされて働いている人には、任されることをうらやましく思う人がいたりします。一方、お客さまはマニュアル通りにする姿を見て侘しさを覚えながらも、マニュアル通りに実行できている姿に畏敬の念を覚えることも事実です。
(サービス業の場合)マニュアルと接客の関係
●マニュアルと接客の関係は大別すると以下の4通りになります。
【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる
【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている
●マニュアルレスで自分の裁量で判断できることの喜びとやりがいは大きいのですが、そこには責任が必ずついて回ります。そこを自覚できない限り、マニュアルをなくすことはできません。
●マニュアルを使っても、その通りできないというのは、マネジメントが機能していないことを意味しています。他に理由はありません。
「こうしてください」と決められたマニュァルがないということは、自由ということではなく、最良の方法を考えて実行しなさいという権限委譲の精神が実行されている証明です。任せる側と任される側の信頼関係が大切ですし、何がベストであるかを判断する良心と良識が求められます。マニュアルがなく、各自これが仕事だと思うことをしているので、マネジャーは苛立ち、個別に攻撃をするというのは、マネジメントを間違えています。
【パターン1】と【パターン4】の間では、なにがどう違うのでしょうか?
結果に辿り着く道筋があるのと、ないのとの違いです。
努力していたらどうにかなるという話ではありません。
いくら努力しても、方法が間違っていたらなりません。
だからマニュアルを作って導入しても、思うようになるところとならないとこrが出てきます。
【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる
両者には共通する点がありますが、以下のパターンには共通する点がありません。
【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている
この両者には、マネジメントできない点で、共通するものがあります。
マネジメントとは決めたことを決めた通りに実行することです。マニュアルレスで最高の接客を実行すると決めたら、そうするのがマネジメントです。マニュアルがないからマネジメントがないわけではありません。マネジメントする立場、される立場共にマニュアルがあり、ルールがはっきりしている方が、仕事はやりやすく楽な場合が多いのが実態です。
10円のものを売っていてもブランドは作れます。1000万円のものを売っていてもブランドは作れません。作れない者には作れないのです。ブランドとは生き様、仕事の仕方が商品に与えている影響の大きさと品質の確かさです。
多様な価値観が混在する集団が、そこに人を介在させてブランドを築くとは、個人それぞれの自分のあり方を仕事の標準化を通して基準化します。
これはすごいことです。マニュアルなしに実現するには、ひとり残らず個人のパフォーマンスを最高レベルに引き上げることでしか標準化できません。「こんなものでしょう」と途中でお茶を濁すことを認めない文化と仕組みがないとできません。だから「ブランド」になります。これが仕事だろうと各自が勝手に判断する世界とは対極にあります。
個々の作業の仕方は個人の良心と良識に任せるが、良心と良識では一致していることが絶対条件になる世界。
マニュアルの世界はここが反対なのです。作業の仕方は絶対に遵守だが、個人の良心と良識は問わない。分りやすくするために、極端な言い方をすると、もともと個人の良心と良識をあてにしていないのが、マニュアルの世界です。
人を信用できない、そんなことに時間を費やすのは効率的ではないとして、作業さえ間違いがなければクレームは出ないという世界です。
マニュアルレスのマネジメントは、もっとポジティブです。クレーム防止ではなく、感動を起こす最高のものを届ける。その態度がお客さまに伝わっている限り、クレームが出る確率は低く、称賛を獲得できるという英断を背景にしています。全員が自分でよしと思うことを自分で考え行動することでチームワークを実現する仕組みです。ファストフード、コンビニエンスストァ、スーパーマーケットの膨大なマニュアルに比べるとすごく少ない世界でありながら、逆にそれを越えるものを提供する野心に満ちた世界です。
それは先にあげた野球とサッカーの違いといえます。では信頼関係に欠かせないスキルとは、どういうものでしょうか。
次にスターバックスが掲げているスキルについて考えてみましょう。
1) 自分への信頼感を高めるスキル
2) 人の話をよく聴くスキル
3) サポートを求める
まず、自分への信頼感を高める。これは自己肯定するスキルです。自尊感情を高めることは一般には楽なことではありませんが、ライフスキルずべてに影響する最も重要なスキルで、次のスキルを高める上でもどうしても必要なスキルです。
人の話をよく聴く。傾聴するとは、ただ話を聴くではなく、こころを感じ取るスキルが問われています。相手に話しやすいようにしてあげることが、結果的に聴きやすい状態を作りますので、自分の聴く態度が問われます。さらに言葉の向こうにある相手の心を感じ取るには、自意識が高くては聴き取れません。自意識が高くなるのは自尊感情が低いからです。そこで自己肯定するスキルが必要になります。
チームワークを機能させるには、自分の役割を果たせることが必須条件です。サポートを求めるスキルは、互いに支え合うという意味を含んでいますが、これが甘えでなく自立心になるのは、自分への信頼感を高めて、チームワークを機能させる意志、つまり自立への意志が機能しているからです。
裏返すと、空虚な見栄や空威張りに終始して、自立しようとしないから、サポートを求める必要がなく、誰の役にも立たない自意識だけが強化され続け、自分への信頼感を弱めます。それを正当化するためには、依存体質を強化せざるを得ないので、ますます自立しようとしなくなり、自分は万事順調、問題は状況と環境にありとして、サポートを求めません。結局、日頃から、なにを問題にしているかの違いから、どんどん自分が成長する職場と、逆に全く成長しない職場ができあがるということです。
自分の人生は自分の選択と行動で変化します。世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。ノードストロームにしても、店というチームは自分でよしと思うことを自分で考え行動する自律型マネジメントによって顧客を惹き付けているのです。
他社との差別化要因の切り札になっているのは、いくつかの信頼関係に他なりません。
・ 仲間との信頼関係
・ お客さまとの信頼関係
それを実現しているのが
・ 自分との信頼関係
なのです。
つまり、それは個人の問題と切り捨てるか、共同体の問題と考えるか、ひとへのまなざしのあり方が最終的に利益のもっとも大きな要因になっているのです。そして、7つのゴールデンルールは、自分との信頼関係、つまり自尊感情を高めるためのものです。
● 自分と周囲の人を尊重し励ます
● プロセスに注目する
● 決めたことは責任をとる
● できるまでやる
● いまこの瞬間に集中する
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
● 感情的な行動をしない
混迷の時代にあって、良心と良識が問われています。
2011年11月14日月曜日
幸福生産性
あらゆる分野で、すでに使い物にならなくなったやり方に執着して沈んで行く一方の会社がたくさんあります。このような会社は変化を嫌い、状況をコントロールしようとしますが、人間にはできることとできないことがあります。どんな場合でも、誰でもコントロールできるのは自分自身だけです。コントロールできないことに時間を費やす愚行をしないで、自分を変化させることに積極的になる必要があります。そして変化について考えるとき、行動するとき、注意したいことがあります。
私たちは、複雑化する経済、高度に専門分化の進んだ時代を生きています。サブプライムローンが示すように、複雑さの代表である金融機関のようにIQが高くないと利益をあげるのが難しい時代になっています。
しかし仕事とは、働くとは、そんなにも複雑で難しいことなのでしょうか? もっとシンプルに考えてみましょう。
ビジネスの原型は、物々交換です。たとえば魚を採るのが得意な人と、鳥を捕るのが得意な人の聞で、魚と鳥を交換する。やがて物々交換では不便なので、お金を媒介にして交換するようになりましたが、原始の時代から本質は変わっていません。
自分の得意分野を活かして、誰かが必要としている物を作ったり、誰かに喜んでもらえることをしたりして、その対価を受け取る。つまり「幸せの交換ごっこ」がビジネスの本来の姿です。
たったそれだけのシンプルなことが年々、どんどんと複雑になるのは、利益を得る方法が複雑化しているだけで、人間を幸せにするために複雑化しているわけではありません。全く違う次元のことを同じ次元で考えるため、混乱してしまうのです。
ギスギスするばかりの近年と比べて「昭和は良かった」という人が増えています。それはモノがなくお金もなかった分、「幸せの交換ごっこ」がシンプルで分かりやすかったからです。
それがどんどん複雑化して行く原因は、利益の計算方法に発見できます。
売上ー費用=利益です。では売上と費用はなぜ同じではないのでしょうか?同じでは利益が出ないからですが、ではどうして買う人は費用より多くのお金を払うのでしょう。買う人が費用以上の価値を認めるからです。つまり利益とは「あなたを応援します、頑張ってくださいね」という共感、人の気持ちなのです。つまり利益が出ないとは、価値を認めてもらっていないからです。
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【参考資料】
2007年に価値をインターネット上でやって驚かせたのがイギリスの大物バンド、レディオヘッドです。彼らは自分たちの新作アルバムをネットで公開、払っていいと思う金額を自由に支払ってくれたらいいという<Pay as You Wjsh>方式に打って出たのです。その結果、180万人がダウンロード、60%が支払いをしませんでしたが、40%が平均2.26ドル支払いました。興味深いのは、通常CDショップで買うよりも多く支払った人が数多くいたことで、その中に100ドル払った人もいたことです。その結果、通常の何層もの仲買業者を通じて販売したよりも多くの収益を得ることに成功し、さらに1年後の次回作ではCD,ダウンロード合わせて300万枚という記録的ヒットを実現。ダウンロード販売がCD販売の足を引っ張った形跡もなかったのです。(出所:「スマート・プライシング」)
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価値とは、人の幸せことなのです。しかし人を幸せにするには利益が必要です。利益がないと食べることが出来ず、生きていけないからです。つまり利益は人を幸せにするために欠かせないエネルギーなのです。
生きるのに必死から始まった昭和のある時点まではこれがスムーズに機能していたのです。ところがモノが行き渡ると変わってきました。価値のないものを売るために、複雑にして価値があるように見せかけて売る。それがバレたために起こったのが、日本のバブルであり、アメリカ発の「金融危機」であり、さらに露骨な行動が中国の海賊まがいの領海侵犯とその後の対応です。現象は違いますが「奪い取れ」という根本の思想は同じなのです。
価値を創り出せなくなり、手っ取り早く利益を得るために「奪い取る」ようになったのです。そのしわ寄せを真っ先に受けたのが、若い人や高齢者たちなのです。奪い取られた弱者は犯罪に走り世の中はますます混乱、ニューヨーク・ウォール街で起こった格差への抗議デモはその最たる事例です。
なぜ、「幸せの交換ごっこ」が大切なのか分っていただけたでしょうか?
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【参考参考】
Apple社の創業者でありCEOのスティーブ・ジョブス氏が亡くなったとき、ユーザの心情を察知したメディアが次々と「ありがとう、スティーブ」という特集を組み、彼を語った書籍はことごとくベストセラーになっています。世界の人々から尊敬され、愛されるのは、「相手を負かすのではない、勝つためには自分が価値ある仕事をしなければならない。」の言葉通り、価値ある仕事に没頭したからです。その言葉の通り、悪評を恐れずに、断行したのです。
ここがとても重要だと思います。
彼の遺言のようになった(スタンフォー ド大学の卒業式でのスピーチで卒業生に贈った言葉)「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉が世界中で共感を得ていますが、その意味は「価値を創造する人間であれ、決して本物の盗賊になるな」ということではなかったのかと思うのです。
ITであっても、豆腐屋さんであっても、職種や立場に関係なく、「困難であっても、あきらめずに乗り越えて、価値を創造する人間になれ、決してするい人間になるな」と言いたかったのではないでしょうか?
2005年のスタンフォー ド大学の卒業式での、歴史に名を残す伝説のスピーチがYOU TUBEで聴けます。
【以下、YOU TUBE 資料】必見です。
検索文章
アップル CEO スティーブ・ジョブス 演説 スピーチ ノーカット版
NHKクローズアップ現代「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」
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多くの企業や店が、言葉では顧客満足やお客様第一を掲げますが、その実際は、お客様にいかに多くのお金を支払わせるかが最大の関心事になっていて、お客様を一人の人間というよりは「収入源」として見ており、ONE to ONEでは「財布」として扱っている場合が少なくありません。
お客様を財布の厚みで分類して、攻略方法を考える、「買わせる」という言葉が普通に使われ、接し方も変えます。法律に触れないギリギリのところで、財布を開けさせるように誘導する。その延長に悪質な客引きがあります。こうした考え方は短期的には、合理的で効率的なかも知れませんが、お互いに感動や共感もなく信頼関係も築けません。
結局、感動も、共感も、信頼関係もない世界では、価格だけが判断基準になり、お客様はより安い価格を提示したところで購入するようになり、売り手は価格競争に陥って、我慢比べで自分の首を絞めることになります。
さらに信頼関係が構築できていないと、お互いが疑心暗鬼になり、なにかひとつのサービスを受けるにしても、価格を調べるために無駄に時聞と新しいテクノロジーを使って満足します。
このような負のスパイラルから脱出する方法はたたひとつだけです。
自分の喜びがお客様の喜びであり、お客様の喜びが自分の喜びになる行きかたです。お客様と共に素晴らしい人生を創造するパートナーになるというやり方です。
どうすればパートナーになれるのか、利用する人の感じ方で変わりますが、利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)
この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。
<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。
さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) のBEです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。
<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。
本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。
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【参考参考】
50年間ずっと増収増益を続けている伊那食品という寒天を売る会社があります。この会社はお客様、従業員、仕入れ先などからいい会社と思ってもらえるようにガンバっていて、その結果として50年もずっと増収増益を続けています。
また相変わらず好調なディズニーランドではスタッフは肩肘張ってお客様を幸せにしようとやっているわけではありませんが、お客様は幸せそうにディズニーランドを体験しています。
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昔からお客さまは、店か、人か、価格・販促につくといわれます。このうちもっとも誇れるのは、店です。人につくのが一番のように見えますが、それは早計です。その人には自慢であっても、大事なことが抜けています。なぜなら自分と同じように、ひとりひとりが店の代表として、みんなができるようにすることがお客さまにとって最も大切なのです。自分が転勤しても、関係なく継続来店していただけるようにすることがリーダーとなる人の仕事ぶりなのです。
お客様と共に素晴らしい人生を創造することを考えれば、お客様と過ごす時間をもっと楽しいものにしょうと思います。自分のメリットのために相手のデメリットは考え見ないというギスギスとした関係はなくなります。お互いが幸せになるにはどうしたらいいかを共に考える時間を増やすことができ、さらに多くの価値を生み出すことができます。
ところが、これはメーカーと下請けの関係でなくなったことのひとつです。その事例からしても、「うまくいくとは思えない」という人がいるでしょう。「そんなきれいごとは夢だ」と思う人も少なくないでしょう。「現実のビジネスはそんなに単純ではない!と思う人いるでしょう。その上「自分にはそんな立派な価値は創造できない」「私は取るに足らないつまらない人間だ」と思う人がいるかも知れませんが、人は誰でも、人を笑顔に幸せにする乙とができます。
人は誰しも祝福された素晴らしい存在なのです。他者と比較する必要などありません。私たちは物心がついたころから試験の点数で順位づけされてきたので、どうしても劣等感を覚えがちです。しかし誰にでも、大切な誰かに喜んでもらった経験はあるはずです。それこそが価値創造の原点です。学歴や試験の点数など関係なく人は素晴らしい存在なのです。
しかし、自分の素晴らしさを認識できず、根性を歪めている人もいます。もったいないことです。しかも昔から日本では謙遜が美徳とされているので、自分を素晴らしい存在だと認めることに抵抗のある人も少なくありません。それにしても自分を卑下し自分をつまらない人間だと思うことと、謙虚さは全く異なります。自分を素晴らしい存在だと信じられるから、なにごとにも謙虚に感謝できるようになれるのです。逆に素晴らしい存在だと信じていない人ほど、謙虚になれないのが実際です。
私たちは業績をあげるために「何をすべきか」という点を重視しがちですが、DOよりBEがずっと大切な場合があります。何をするのかのDOではなく、どうありたいのかのBEなのです。実はほとんどの場合、BEが大切なのです。BEがしっかりしていないとDOをいくらやっても効率が悪いのです。つまりデタラメな人間がいくらいい販促をしてもいい成果をあげることはできません。逆に人を心から大切にする者が大した販促でしかなくても、心のこもった交流をすることでお客様の心を動かして大きな成果をあげることは少なくありません。
そこで一時、感動サービスが流行しましたが、ほとんどうまくいきませんでした。結局形ばかりの心ない言葉だけ感動のサービスしかできなかったからです。
このようなサービスはひとりひとりの人間力によって初めて可能になります。つまり生計を立てながら、人間力を高めないとできないのです。それを実現するのは学習力です。学習力が競争力なのです。だから学習しない人は何者にもなれず、存在価値が薄くなります。それは負の伝搬となり何代にも受け継がれ不幸が続きます。これこそが最大の問題であり、解決するべき課題です。その突破口になるのが幸福生産性を追求するビジネスです。
どうか誤解しないでください。私はもっと売るためにお客様に親切にしないさいと言ってるわけではありません。お客様を幸せにするのが私たちの仕事だと言いたいのです。自分の良い面を成長させながら生計を立てていくことを望んでいるのです。もっともっと素晴らしい人間になるためにお客様をもっともっと幸せにしようと言っているのです。
人と人の間で生きるから人間と言います。自分たちになるとは、人を幸せにする人間になろうという意味です。自分たちは、人を幸せにして、同じように自分たちも幸せになる人のことなのです。それを図にしたのが次のものです。
今日現在、そうでない人もいるでしょう。そういう人も含めて人を幸せにする人になってほしいのです。奪うことに躍起になっている者が多い現在、それは簡単なことだとは思いません。そういう時代だから、マートワンはそうしたいのです。私どもがかかわる会社さまは、お客様や取引先から応援したいと思っていただける会社にしたいのです。
そのためには、ひとりひとりが、何が本物の幸福なのか、まずしっかり意識する。その上でじぶん力を育み、肯定感、自己効力感を身につけて、個人が幸福になる。PDCAを回転させる力をつける。その力をリーダーシップにしてチームワークの原動力にしてチームそのものを幸せにするのです。
2011年11月8日火曜日
「ハングリーであれ、愚かであれ」がなぜ響くのか
私は、コンサルをしていていろんな組織のトップから末端の方まで、いろんなお話をお聞きし、お話し、沢山の思い出をいただきました。今後も続きます。
そのプロセスでつくずく思うことは、皆さん、賢いということです。少なくとも努力されている方はみんなそうです。なのに結果につながっているかと言うと必ずしもそうではない。それはどうしてでしょうか?先日も実験ばかりで、事が何も進まないような気がしてるんです」とある経営トップが嘆いておられました。
ところがそんなことになるのでしょう。
ひとつは、みなさん、賢くて一生懸命に考えておられます。理に適っていてとっても合理的です。しかし大局に立ち、全体をつないだら必ずしも合理的ではない。不合理なのです。
ひとつはPLAN→DOまでは確かに実行されますが、その先がないCHECK→ACTIONがない。特にACTIONがない。やってみたけどダメだったで終わりです。ひどい場合には、話をしただけで、終わっている。
そして、もうひとつ。
無意識の発言と、説得力のない無意識の内に誰からか学んだ正論と「その通り」の気持ち。つまり五感を通して入ってこない本心の見えない心。
もっとあるのかも分りませんが、もっとも大きな不思議。
だからスティーブ・ジョブズ氏の「ハングリーであれ、愚かであれ」が響き、胸に沁みるのではないだろうか?
マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。
その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。
<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。
個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。
さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。
もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。
ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。
Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。
たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。
「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。
利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)
この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。
<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。
さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。
セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。
<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。
本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。
それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。
ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。
日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。
Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。
そのプロセスでつくずく思うことは、皆さん、賢いということです。少なくとも努力されている方はみんなそうです。なのに結果につながっているかと言うと必ずしもそうではない。それはどうしてでしょうか?先日も実験ばかりで、事が何も進まないような気がしてるんです」とある経営トップが嘆いておられました。
ところがそんなことになるのでしょう。
ひとつは、みなさん、賢くて一生懸命に考えておられます。理に適っていてとっても合理的です。しかし大局に立ち、全体をつないだら必ずしも合理的ではない。不合理なのです。
ひとつはPLAN→DOまでは確かに実行されますが、その先がないCHECK→ACTIONがない。特にACTIONがない。やってみたけどダメだったで終わりです。ひどい場合には、話をしただけで、終わっている。
そして、もうひとつ。
無意識の発言と、説得力のない無意識の内に誰からか学んだ正論と「その通り」の気持ち。つまり五感を通して入ってこない本心の見えない心。
もっとあるのかも分りませんが、もっとも大きな不思議。
だからスティーブ・ジョブズ氏の「ハングリーであれ、愚かであれ」が響き、胸に沁みるのではないだろうか?
マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。
その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。
<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。
個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。
さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。
もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。
ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。
Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。
たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。
「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。
利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)
この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。
<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。
さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。
セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。
<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。
本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。
それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。
ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。
日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。
Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。
2011年11月3日木曜日
マートワンの幸福生産性向上レッスン
実績はみなさまの声が実績です。ライフスキルは世界保健機構が人が幸福な暮らしをするために必要と定めたスキルです。みなさんは誰から教わりましたか?そしてそれを使っていますか?その実態は寂しいものです。
ほとんど知らないまま見よう見まね、決して感情的になってはいけないことに感情で判断して行動している場合が少なくありません。その結果、一時的には良かっても、後々苦痛の種のなrってしまうこともあります。行動の前に、もう少し正しい知識を持っていたら、違う結果になっていたことがたくさんあります。それを学び最善の行動ができるようにするのがライフスキルレッスン(ライフスキル講座)の目的です。
マートワンが21年の歳月を費やして開発した<Beプログラム>は、人生脚本の存在を前提として、まずそれを認識したうえで書き直す作業を通じて、じぶん力を再生します。
その上で存在のあり方を、バランスのとれたものに調整し、幸せな人生を実現できる自分を創造します。その意識と力を周囲に拡大できるリーダーシップに育み、幸福なチームを創造できる力にします。
<Beプログラム>を特別な個人、つまり「あなた」あるいは特別な組織つまりあなたの会社にあてはめてサポートするのが<Beプロジェクト>で、幸せなチームを創れる自分づくりを目的にしたビプロジェクトです。
個人の場合ははゲンキポリタン、組織の場合はマートワンが担当します。
さて幸せなチームの定義は、お客さまはもちろん、組織に働く人々、取引先の方々が幸せを感じることができる共同体のことで、短期的な利益の追求ではなく、長期に及ぶ利益を実現するチームを実現します。
もちろん先々のことまですべてが分かるわけではないので、実際にはお約束は困難です。しかし結果的に実現可能にする要素を育みます。
ライフスキルよりさらに中味の濃いビジネスマン向けのレッスンです。マイ・プロジェクトを改良したもので、自分は何者か?存在のあり方を見直します。人間力、幸福な暮らし、さらにリーダー、チームワークというように、個人からチームリーダーへの成長をサポートします。幸福なチーム、幸福な家族を創造する力を築きます。
Beプロジェクトとは、
じぶん力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む力を身につけることです。
たとえば同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。
「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たしたい感情を満たすことこそ目的なのです。
利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方あるいは何者か?)
この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れません。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいいを使い分ける2極化した賢明な生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。
<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために力を発揮するのかという道筋が出来るのです。
さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という見えないけれど、最も重要な階層があります。BEとは、Be You、Be Happy、 be the best you can be(なれる最高の自分になる) 、あるいはビートルズの名曲<Let It Be>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。
セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、代表作「ハムレット」での有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないかと思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ翻訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。
<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。
本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。
それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>によるのです。
<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。
ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。
日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方あるいは何者か?)>に重きを置いた考えに共通しています。
Beプロジェクトとは、LET IT BE、つまり自分らしく自分に適合した揺るぎのない「じぶん道」を築くレッスンです。
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