2010年3月22日月曜日

【WAY】「はい」は魔法の言葉




 新入社員の心得というより、社会人の態度として忘れてならない、でも、職場に慣れるにつれ結構忘れてしまうことがあります。 想像してみてください。

もし、あなたが幼いこどもだったとしたとします。おかあさんの側に行って、「おかあさん」と呼びます。

●そのとき、お母さんが「はい」と答えて、あなたを見つめたとします。

どんな気分になりますか?
あるいは、

●お母さんは返事に答えず、黙ったままあなたを見つめたとします。

どんな気分になりますか?
あるいは

●お母さんは「はい」と答えたものの、他を見たままで、用を続けてあなたを見ないとします。

どんな気分になりますか?

この3つの反応の違いは、あなたにとって同じでしょうか?

違うでしょうか?違うとしたらどう違いますか?

あなたは、どれが一番気持ちいいですか?
あるいは、あなたがお母さんだとして、どの反応をしてあげたいですか?
それはどうしてでしょうか?

安心できるって素晴らしいことでしょう。
安心できるって自分が大事にされていると感じることです。

上司が部下の名前を呼んでも、返事もしないまま、黙って顔だけを上司のほうに向ける人がいます。あるいは「はい」と返事だけして、下を向いたまま仕事を続けている人がいます。

どんな感じがするでしょうか?
話そうとしても出鼻をくじかれるようで、いい感じがしません。
安心して話ができない気持ちにさせるのは、社会人として不合格です。

返事をしたとしても、たとえば「はーい」「はあ」「えっ」「何ですか」も、感じの良くない返事です。

 日本では「かわいい」が受けるので、「はーい」と返事することで受けを狙う人もいます。しかしペットにされて満足する程度なら、それでいいかも知れませんが、良識と良心をもってあなたを気にかけてくれる上司や先輩なら、「はーい」と返事されたら不安を感じます。呼ばれたら、すばやく簡潔に、元気に「はい」と答えるのが正解です。あとは全部不合格です。

「はい」は単なる反応の証ではありません。返事することには意味があります。

◎呼ばれたことが分かりました。
◎実行します。(行きます)
◎指示された内容が理解できました。

これらのことを伝えることが「はい」なのです。

 私たちはよくマクドナルドのことを「マック」「マクド」、スターバックスのことを「スタバ」と省略して呼んだりします。略した造語が氾濫しています。

その感覚で言うなら「はい」も略語のようなものです。スピーディに仕事を進めるために、キビキビした「はい」を上手に使いましょう。

呼んだ人も、呼ばれた人も気持ちよくなれます。でも、それは気分よくするために使うのではありません。目的、目標、自分の役割を果たすために、無用なストレスを作らないのがマナーなのです。気持ちよく働ける環境は、周りが用意してくれるのではなく、自分も一緒になって創っていくものなのです。

お客さま、上司、先輩に呼ばれたら、自分から相手の方に近寄っていくのが礼儀です。気をつけたいことがあります。没頭していると気持ちの切り替えしに多少時間をとってしまうことです。すぐに意識が相手に向かわないと「なんだろう?」と考えてしまう、だらだらとした足取りで近づいてしまいます。

スピーディに意識を切り替えるためにも「はい」は効果的です。「はい」のひとことがスイッチになって、すぐに一旦中断して、急ぎ足で相手のところへ行けるようになります。やりかけの仕事があっても区切りのいいところまでと考えずにすぐ行動できます。

相手が近づいてくる場合も同じです。近づいてくるのが見えたからといって、そのまま座って待つというのもよくありません。立っている場合も同じで、自分から近づくようにします。

共同体の一員として、自分は自分の役割と責任を果たせることができる。「はい」とそれに続く行動は、あなたの心の表現です。呼ばれたら元気の良い返事して、自分の気持ちを相手に届けます。「はい」のひとことが、相手に、安心を与え、元気にします。相手に、安心を与え、元気にすることで、あなたはもっと大きな安心と元気を獲得します。

「はい!」・・・たった2文字の魔法の言葉です。

マートワン
【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
【アサーティブを学ぶ】ライフスキルで自分を動かす
日本全国男前プロジェクト
ゲンキポリタンのじぶんぢから再生プロジェクト

整理整頓はコミュニケーションスキル



 机の上は書類の山 、郵便物も大きな固まりになって目に付きます。段ボールの箱にも資料がいっぱい。よく見る光景、よくある悩みです。

性格と技術が丸裸になった光景です。どう考えるかも人それぞれ。

整理整頓をしても、どうせまた散らかるという理由で、整頓しないのも合理的と判断した人もいます。同じ理由で、家庭でも足の踏み場がないというケースもあります。 しかし、また汚れるという理由で風呂に入らないとしたら、理由にはなりません。
伝票がちらかり、書類の行方不明も多い事務所では、書類探しに使う時間もストレスも多くなります。やっぱり「ストレスのないやり方」に軍配があがります。

 整理整頓は非生産的な時間ではなく、攻撃的な次の準備、生産的な時間なのです。さらに整理整頓はコミュニケーションスキルなのです。 すべての仕事は因果関係があります。10人いれば100のコミュニケーションがあります。黙々と励む整理整頓は個人的なものに見えますが、実は違います。ストレスの多い事務所に生じる
時間と神経のムダ遣いは、同僚、上司にも悪影響と負のスパイラルを与えているものです。気がつかなくても自分が周囲のストレス源になっていることもあります。

整理整頓は書類の行方不明や間違いをなくすだけでなく、目に見えないイライラや衝突を減らします。落ち着いた環境は、落ち着いた自分を作り、他の人への励ましになります。

整理整頓はなれると簡単、帰る5分前の時間の使い方でいつもスッキリを実現します。後始末ではなく、始まりの準備と考えたらどうでしょう。BE COOL! 帰る5分前は、明日のスタートダッシュの準備をする時間帯。「ストレスのないやり方」をぜひ習慣にしましょう。

マートワン
【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
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失敗力



 失敗力とは、失敗をいかす力、ライフスキルでいう創造的思考スキルです。

熱意を持って取り組んでもうまくいかない場合があります。努力しても、しても、成果が乏しく無駄に感じたりする場合があります。
本当にこんなことに集中してムダにならないのか、不安が恐怖に変わっていきます。



 上のグラフは、努力と成果のバランスを表したものですが、最初は努力に比例して一定の成果が出ます。ところが初歩の段階を越えると難易度が高くなるので、努力に対して目に見えた成果が表れなくなります。努力しても成果がないと感じるようになります。本当はムダになっていないのですが、著しい変化がないのでムダに感じます。

グラフの 「努力と成果のギャップ」が不安の大きさです。ほとんどの人がこの不安にやられてしまいます。貴重な時間を使っているので無理ありませんが、感情的にならずに、自分と状況を客観的に観察して否定的にとらえないことが大事です。

やってもやってもうまくいかない。・・・・
言い方を変えると成功に近づいているともいえます。


▼次の図のように、マネジメントサイクルを使えば、失敗は、次の作戦の基礎になります。



 マネジメントサイクルのプロセスの確認と反省の間で行う「観る→なぜ?→どうする?(観察→分析→判断)」こそ、物事に取り組んだときの醍醐味です。

「目的」→「目標」→「計画」→「実行」→「観る(観察)」→「なぜ?(分析)」→「どうする?(判断)」→「計画」→「実行」を繰り返す楽しみを身につけて、習慣化しないものです。

失敗するひとはなぜ失敗するのか?
失敗したところでやめてしまうからです。失敗は、使い方で宝物になります。

次の図で判るように、失敗は「確認」作業なのです。
そこで確認を反省に発展させて、計画に仕上げる。すると同じ間違いはしなくなります。それだけ一歩成功に近づいたことを意味します。

ただし、これにはちょっと秘訣があります。
「どうしたらうまくいくのだろうか?」という疑問と挑戦を持つ事です。その関心が計画作りに発展して、さらに計画に則ってやることになります。

計画というと難しく思うかも知れませんが、要するに「計画」とは、段取りです。
計画と目標を混同して使う人がいますが、全然違うので気をつけてください。
計画は目標を達成するための手段です。「計画」とは、段取りなのです。

計画があれば、計画と行動の結果の食い違いに、さらに関心を持つようになります。
この食い違いを探求する気持ちが粘りになります。これがマネジメントサイクルの基本です。

 マネジメントサイクルというとなんだか特別なことをしているようですが、そんなことはありません。目標達成を上手にやれる人なら、マネジメントなんて言葉を知らなくても自然にしていることです。そのやり方を真似したら、誰でも同じようにやれることを説明するために論理的に整理したのがマネジメントサイクルなのです

もし、計画がなければ、どこが間違っていたのか、なぜうまくできたのか、検証ができなくなります。毎回毎回一から考えるムダが生じます。そのムダは「努力と成果のギャップ」という不安のもとなのです。毎回一から考える手間と不安はメンタル面で大きなストレスになり、あきらめる原因になります。

 うまくできないからあきらめるというより、「面倒くさい」感じに引っ張られてしまうのです。だから自分では、やり方を変えればできるんだろうなという感触だけが残る。それがもっとも厄介なのです。
自分は最後までやりきれない人間だというレッテルを自分で貼ってしまうのです。でもそれは認めたくないので、周囲の人から言われたくない。そこで失敗する可能性のあることには触れようとしなくなります。

インスタントラーメン一杯作るにしても湯加減の失敗があったりするのが普通なのですから、失敗する可能性のないことなんてなにもない。
失敗を恐れて消極的な人にならないように、果敢に挑戦しましょう。

失敗を単なる失敗にしないように必ず守る鉄則があります。
失敗したところでやめてしまう、あるいは失敗から反省に発展させて、計画するまで時間がかかりすぎると、状況が変わって失敗が役に立たなくなります。

自分に誠実に率直に、やるべきことはやりながら・・・目標をもって、計画を立てて、行動する・・・そこで失敗したら、迅速に反省(作戦の変更)をして、迅速に行動する・・・・この繰り返しを成功するまであきらめずにやり続ける力・・・それが失敗力です。

失敗に強い人は、とても合理的な人なのです。

マートワン
【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
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2010年3月21日日曜日

自主自立の第一歩は目標設定



 「目標」がないとどこに向かって自分を飛ばしていいのか、分からないので、モチベーションが高くならないのは当たり前です。

だから目標設定は重要ですが、会社や学校、あるいは世の中の仕組みでもって、半ば強制的に目標を持たざるを得ない場合は別にして、なんでもいいから自分で目標定めて頑張れと言われると、喜びよりも困ってしまうことが少なくありません。

たとえば学校に行くうちは、周囲からあれこれ目標を設定されます。それを嫌って不登校などしていると、自分で目標を定めないと誰も与えてくれなくなります。
そうすると、自由はいいけど、どんな目標を持っていいのか、決められなくなります。
つまり学校に行っても、行かなくても依存的なのです。自立心から学校へ行かないひともいるけど、ほとんどはそうではない。依存的とは実は従属的ということです。たいていの場合、態度は反対ですけどね。従属的とは自分で物事を決められない。だから自分の内でどうしようもできない混乱が起こります。でも世の中はどんどん個人の価値観を優先する社会に変化しています。自分で自分のことをケアできないひとは置いていかれます。

いまの日本はそういう時代です。結構、なんでも好きなようにすることができる。でもその好きって単なる瞬間的なわがままの積み重ねでしかなく。いざ自分で目標を決めて生きて行くとなると、それができない。
それができないから、テキトーにカッコいい仕事を目標として口走るけど、実際には追求していない。だからその仕事に就けないので、とりあえずアルバイトでしのいで行く。
それが常習化していくと、世間の方でも場当たり的な対応しなくなる。その背景には、自分で自分の目標が決められないという切実があります。
時には、考えただけでイヤになることもあります。

「目標設定」というテーマの正体は、「個人の自由」という命題と向かい合っています。
だからこそライフスキルのひとつとして目標設定スキルは重要視されています。

目標設定は、なんでもいいのですが、決められないのは、なにをするかよりも、自分を解き放とうとしない、放てない苦悩があります。放った途端、どうなるか判らない不安と恐怖。
実感はともかく、誰かに束縛されているわけでもなく、自分が解き放たない。

そんなとき、自身は目標を設定できない理由をあげます。

しかし持ち出してくる理由は、 自分の脚に重石をつけるような行為である場合が少なくない。つまり、自分で飛び立てないようにしているのです。
そのもっとも顕著な構文が、「たしかに○○○○、しかし○○○○、もし○○○○」で構成した否定あるいは否認のメッセージなのです。
この構文を使う限り行動は起こりません。

この行為を自分の意図だと思っているひとは少ない。
「しかし」と「もし」 を使って、その原因を周囲のせい、自分が属している共同体のせいにする。場合によって自分は無力、非力を訴える。

なにをするにしても制約もあり、条件がついてくる。その意味では周囲との折り合いが必要だけど、目標設定の段階ではフリーです。だからほとんどのひとは自分以外のせいにすることはできないはぜです。
だれも心に想うことは止められません。心に想っても、実際に実現できない目標なんか意味がないと想うかも知れません。でも、そうでしょうか?そこで人間の幸福って、本当に一体なにかが問題になります。
したいことを選んだら、したいことに自分の行動をあわせるしかありません。
目標や自分の行動に、したいことをあわせることも、周囲のひとを合わせることもできません。ひたすら、ひたすら、したいことに自分の行動をあわせます。そこで起こるプロセスそのものが人にとっての幸福なのです。



それには、自分を周囲のひとに合わせて、自分のしたくないことを目標にしないことです。自分を周囲のひとに合わせて、自分の自由を失っていると、感情処理がうまくできません。本当のことを言うなら、 感情処理をうまくできないようにするために、自分を周囲にあわせていると、自分の自由はなくなります。
感情処理をうまくしないとどうなるか。考えなくてもいいことを考えるようになります。すると時間がどんどん失われて行きます。この状態がそのときには楽なのです。

たとえば他人がジムで汗流しているときに、ゴロ寝。他人が試験勉強しているときに、漫才みて笑っています。それが好きなら好きで。自分の価値観だからいいのです。でも、それで幸福になれるのかどうか。お金のことを言うのではない。他者の自分への評価を言うのでもない。自分が本当にそれで幸福なのかどうか。

ところが、それでもいいと想う人がたくさんいます。自分の自由がなくなると安心することもあるからです。そして、自分の選択なのに、周囲のせいにして暮らす。だからいつもプンプン、感情的に判断して、感情的に選択して、感情的に生きて行く。
でも。実体がないから、自尊感情は低いままになります。
尊敬ではなく、人に好かれることで、その穴埋めをしようとする。すると周囲の顔色を伺うようなことになる。人気が気になる。意識はともかく従属的になる。それが不満になるので表向きとは反対に支配的になる。自分を引き裂くように内と外が違ってきて、自分の内に混乱が深まります。

学校の先生でも、尊敬されるより人気があることが重要視します。嫌われても尊敬される先生でいたいと気骨のあるひとはどんどん減って行く。会社でも家庭でも同じ。


安全への欲求はものすごく強い。それが人間です。だから、それを恥ずかしく考えることはない。でも安心と引換に失うものは大きすぎます。

自尊心を失ったら、なんのための安全・安心かということにもなります。なにを目標にするかはどうでもいい。自分がやりたいことを選べばいい。達成できなくてもいい。重要なのは自分が、いまこの瞬間、集中できるかどうかです。
目標設定ができない、したくない背景に、 感情処理の問題が絡んでいます。つまり目標設定しないことが感情的な行動なのです。

感情に預けなければ、目標設定は難しくない。達成のプロセスで間違ってもやり直せばいいことですから、うまくいかないことも問題ではない。

それでもなかなかできないのは、本来感情とは無関係なことを、つまり考えても仕方のないことの範囲に目標設定を預けてしまうからです。

たとえば、自分は朝6時にジムに行って、9時までに机に向かいます。
朝、起床したときに、なにも考えずにジムに向かいます。 考えたら、つまり感情に預けると、面倒くさい、ああイヤだと考えてしまうからです。だから考えずに、ジムまで行き、やるしかない状況に置いて、そこで身体動かし出すと、気持ちよくなり、机に向かったときには爽快感があります。ジムに行けば洗濯物も増えて、またユーウツが増えるけれど、やはり感情に預けないようにして洗濯だって毎日します。こうして 自分の弱点とつきあいながらメタボ対策をなんとか継続している。


目標設定も、それと同じだと思いますし、誰がやるのかを抜きにした計画はあり得ない。

自分の人生の主人公は自分だから、自分の目標を設定するときは、周囲のひとや、会社のことは無視しましょう。先々を考え過ぎて、できるかできないかも考えないことです。
できるから選ぶではなく、したいことを選ぶ。

たとえばケーキを作るでもいいし、資格をとるでもいい。「ケーキづくりは好きではないけど、こどものために作ってあげたい」・・・この発想は×です。
「こどもの笑顔がうれしいから、おいしいケーキが作れるようになりたい」・・・これは○ですね。似ているけど全然違うでしょう。資格も同じ。
「自分としてはあんまりだけど、会社の仕事に役に立つから」は×
「会社の仕事には効果ないけど、自分が興味あるから」は○
あるいは「会社の仕事に役立つので自分としてはどうしてもとりたい」は○

したいことを選んだら、したいことに自分の行動をあわせるしかありません。目標や自分の行動に、したいことをあわせることも、周囲のひとを合わせることもできません。ひたすら、ひたすら、したいことに自分の行動をあわせます。
ここで気をつけたいのは、自分を周囲のひとに合わせて、自分の自由を失っていると、感情処理がうまくできません。感情処理がうまくできないように、自分を周囲にあわせていると、自分の自由はなくなります。自分の自由がなくなると安心することもあります。
でもその安心と引換に自尊心を弱めてしまいます。小さな安心と引換に失うものの方が大きい。虎に追いかけられた猿が逃げ込む木を選ぶ余裕を失うのと同じ状況になっているからです。



だから、おすすめは、感情処理をうまくするためにも自分の自由を優先します。自分の自由を認めることは、周囲のひとの自由も認めるということです。誰にとっても24時間しかありません。ひとりひとりの24時間を大切に使うには、男だから、女だから、こどもだからと値引きせずに、相手に届くように伝えるようにします。それでも、どうしても無理なことがあります。その場合は我慢ではなく、それを受け入れます。お互いにそうです。自分の自由、周囲の自由を否定しないようにします。
目標設定ができる。それは自主自立の第一歩なのです。


マートワン
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iPadで新聞、本を毎日読む



 ある日、アメリカ、コロラドの早朝、スターバックスで朝食をしていたら、初老のビジネスマンが丸太ほどの新聞のかたまりを小脇に抱えてやってきました。

コーヒーを手にすると抱えていた新聞の束をバサッとテーブルにおいて、青空の下で順番に読み出しました。多分、彼の毎日のスタイルなのでしょう。

スターバックスのコンセプトである第三の部屋にぴったりで、コーヒーもおいしそうです。

 iPadを見ても分かるように、日進月歩といって世の中は毎日変化しています。

変わらずに昔から続いていることがたくさんあって、その上に新しいことが毎日のように起ってきます。

どうでもいいこともたくさんありますが、大事なこともたくさんあります。それらを知っているか、知らないかは、大きな力の差になります。これも一度に知るわけではなく毎日の積み重ねです。

まず基本的な情報を集めるために、新聞を読むことをおすすめします。

一般紙と経済紙は、みんなが言うようにやっぱり当たり前です。さらに業界紙も読むようにしたらいいでしょう。

自分の感性がピピッと働いた関心のある 記事は切り抜いて、あとで読み返せるように自分のスタイルでスクラップしておくことをおすすめします。それを続けていくと感性は磨かれていきます。

自分のスタイルでというのは、スクラップってメモ帳みたいなものですから、肩肘はらずにメモ帳感覚で使えばいいのです。

スクラップにはいろいろな方法がありますが、肩肘張ると長続きしないようです。

おおまかな分類で十分です。細かいと逆に混乱して不便です。ノートでいいので貼りつけておきましょう。

新聞情報、雑誌、書籍を使うことで、数字や事実の裏づけのある報告や提案ができます。お客さまとの話題も豊富になりますし、説得力も増します。

・切り取った記事をスクラップブックに貼る
・重要なところに傍線を引きます。
・そのとき気になったことをコメントとして書き入れておく
・いつ関心を持った日付を書き入れておく
・関心をもった動機もメモしておく
・付箋をつけておくと、目的のぺージがすぐに探せて便利

こうしておくとスクラップする作業によって、読み返すまでもないくらいに、記憶も強くなったりします。

 雑誌が多い日本では、表面的な情報で満足してしまいがちです。テレビの情報も有効ですが、語学その他の講座とかを別にすると、やはり表面的な情報が大半です。

しかしそれでは雑談には使えても、仕事では使いものにならないのがほとんどです。

 仕事で本当に使える知識を獲得するには、集中的な情報収集を行なうことが欠かせません。雑誌やテレビの情報は、情報の入口、キッカケとして利用するのが望ましいでしょう。インターネットによる情報はその信憑性に注意しながら活用したらいいでしょう。

やはり、しっかりした情報を吸収しようとしたら、理解したいテーマの関連本の三、四冊は読みたいものです。少なくとも専門的な知識を獲得するには最低の学習です。

 アメリカでは、日本のような雑誌による情報がすくないのと、学生時代からの学習スタイルとで、どちらかというと自分で専門書を読んで情報を集めていくのが一般的です。

時間はかかりますが、うわべの情報ではなく、奥深く専門的なレベルで知ることができます。おかげでムダ遣いしないですむ効用もあります。是非そのスタイルを自分のものにしたいものです。これは慣れの問題です。

そうすると自分で考えることができるようになります。知識、情報はただ知っているだけでは価値は半減以下です。自分で考えるときに使えてこそ価値があります。

すると、雑誌、テレビ、新聞の情報も鵜呑みにしなくなります。書かれていないことも読めるようになります。そのためにも、新聞、本は、必ず毎日読むがルール。
新聞も売れ行きが落ちています。時代はiPadの時代です。iPadの便利な技術を使いこなして読む習慣を考える習慣にステップアップして続けます。

新聞、本を毎日読む習慣を、iPadで考える習慣にステップアップする時代です。


【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
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考える力


 上司から言われる前に準備する、必要な行動が出来る人は上司の強い味方になります。
そういう人にはある特長があります。

ある程度、仕事の全体像が見渡せて、予測できる能力です。
このような能力は、どうすれば身につくのでしょうか?
またこの能力があるとどんないい ことがあるのでしょうか?

仕事の全体像が見渡せて、予測できる能力を身につけるには、まずチームワークを強く意識することです。チーム ワークは役割を分担して仕事することですが、役割だけを果たせばいいと考えるのは早計です。

あるパートには他のパートと因果関係がありま す。因果関係がこじれないように自分の役割を全うする。チームワークの前提です。

仕事は刻々と動いているものです。自分だけが動けばいい のではなく、全体が動いているので、自分の役割を全うするには、全体の動きに順応する力が必要になります。全体の動きに順応しようとするには全体を見渡す 能力が必要です。先を読む能力は全体を見渡す能力があるから育ちます。先を読む能力があるから順応でき、順応できるから、自分の役割を果たせます。

で すから、言われるままに、動いているだけでは、何度言ってもマスターしないと言われてしまいます。自分としては言われようにやっているのに、なぜ不満に思 われるのか不思議に思うかも知れませんが、それは「仕事は刻一刻変化し続けている」ことを忘れているからです。

全体を見渡す能力を身に つけるにはコツがあります。
指示待ちではなく、”自分が指示する立場なら”という目で物事を見る目を持つようにします。この訓練は、いつでもでき るのです。

たとえば、新聞の折込チラシがたくさん入っています。ひとつひとつ、自分ならこんな表現にするのにと考えることができます。同 じように通勤電車の中なら、中吊り広告がたくさん掲載されています。ここでも訓練できます。テレビのCMでも同じです。考える力を育むチャンスはいっぱい あります。しかし、他人事として考えていたのでは、自分の視野は広がりません。考える力が身につかないということです。

そんな人が本を読 んでも、単語は記憶できても、文章の意味は理解できません。決して理解できないわけではないのですが、考える習慣を身につけていないので、理解できなくな ります。

何事においても自分の問題として考えると、考える力と併せて想像力が強化されるようになります。

言われなくても できる人は、任せられるようになります。
言ったらできる人は、頼りになります。
言われたときだけ出来る人は、頼りになりません。
言 われてもできない人は、使いものになりません。

真面目にやれば、言われてもできないようなことはありません。
ひたすら訓練をした ら、言われたら出来るようになります。
経験を重ねればさっさとできるようになります。
言われなくてもできるようになるには、どうしたらで きるでしょうか?
言われなくてもできるようになるには、自分の態度次第なのです。

さて、どの技術を身につけようとしますか?
決 めるのは「指示」ではありません。自分の選択と行動です。

合格点



学校の成績が悪くても、職場ではいい成績を残している人がたくさんいます。学校の成績と、職場の成績は、似ているようでもまったく別のものだからです。

どう違うのでしょうか?

学校では、正しい答えを知っていれば良い成績がとれました。

職場では、正しい答えを知っているだけでは、ダメです。社会では考えとして持っていてもダメなのです。行動しないとダメなのです。実行してこそ評価に値します。

ですから、学校の成績が良くても、職場でいい成績を残せるとは限らないのです。職場でいい成績を残している人は行動する人です。

プロ野球ならどうでしょうか?
バッターボックスに立った打者は、投手の投げるボールを打たなければなりません。
どんなに立派な理論を言っても、打てなければ良い評価を得ることはできません。
打って走って塁に出て、点を取ってこそ評価されるのです。

歌手でもそうです。
楽譜は読めないけれど、心に響く歌を歌う歌手がいます。歌ってこそ仕事なのです。

仕事の上で知識、理論はとっても大切ですが、それでも結果を出さないと、知識、理論の豊富さは意味がありません。知識や理論は乏しくても行動の豊富さで結果を出す方が評価されます。知識を行動に生かして、豊かな結果を出してこそ、知識は評価されます。知識だけがどんなに豊富でも意味がないのです。

よくお店なんかで、顔は他を向いたまま「いらっしゃいませ」と言う人がいます。

どうしてもムリと言う場合は別して、顔を向けましょう。顔は他を向いたまま「いらっしゃいませ」は真似事のようで寂しいものです。挨拶の言葉を知っていても、お客さまに「笑顔」で挨拶できないと、その知識に意味はありません。

実行することがすべてなのです。

社会では、実行することで評価されることを忘れないでください。合格点は行動したかどうかです。

ですから合格点はよくできましたのレベルではなく、最低の基準でしかありません。

行動することで、素敵さがどんどんピカピカ輝くようになります。

「もし・・・・だったら、やれるのに」という人がいます。「もし、問題がなければ、やれるのに、問題があるからできません」という意味です。とっても不幸な言葉です。なぜなら、自分が失敗しそうなこと、優越感を味わえないことは避けているのです。

無意味な競争的な態度から出てくるのです。競争的と言うと、まともにぶつかって競争するのかと思うかもしれませんが、そうではなく、逃げるのです。

逃げている限り、負けません。逃げたことがばれないようにする言い方が「もし・・・・だったら、やれるのに」なのです。合格点をキープするつもりでしょうが、これは最低ラインにも、到達しない言葉です。

だけど、自分が優越感を味わえないことはしないのは、不自然です。失敗はいつでも、誰にでもあることだからです。問題があれば失敗する可能性があります。

だからこそ、失敗しないようにするためには、どうしたらいいのかを考える機会が生まれます。そこで考えて実行してみる。

失敗するかもしれないけれど、失敗するから一歩前進できます。次はこうしてみようと絞り込めるからです。

人は誰でも優越感を味わいたい生き物です。だからといってそれにこだわり過ぎていたら、失敗が気になって何もできなくなります。

考えてばかり、知っているだけじゃ、行動はできません。行動しなければ失敗はありませんが、それが社会では最大の失敗です。

 では、なぜ学校は知っているだけで、高い評価が得られたのでしょうか?

学校は、正しい判断が出来る力を身につける場所だからです。

親がする子育ても同じです。

子育てというのは、“成人させればいい”ってものではありません。こどもが成人して、社会生活を送って行く上で、正しい判断ができる力を身につけさせるのが「子育て」です。だから親はこどもに、学校の成績以上に、マナーやエチケットをうるさく繰り返し言って身につけさせる。社会生活しないとダメだからです。

ところが最近、親がそういうこと教えません。あるいは軽視している。だから顔は他を向いたまま「いらっしゃいませ」と言うような人が増えています。

でも失礼なことだと思っていない。知らないからです。知っていても、「まあ、いいか」ですませてしまう。「まあ、いいか」ですませてしまう判断をしているわけです。

 その程度の判断力ですませてしまう。でも、自分が正しい行動してなくても、優越感は持ちたいですから、競争的になって、正しい行動ができそうでないことは、どんどん避ける。そのときの実行を遮断する言葉が「もし・・・・だったら、やれるのに」です。そんなことそしていたら、自信がなくなる一方です。これではどんどん神経症になってしまう。

まず実行しましょう。自分を信じて実行しましょう。実行すれば、現実が「答え」を返してくれます。失敗は悪いことではありません。その答えに耳を傾け、次にどうしたらいいのか、自分に備わった力が現実に向かって行きます。自分の力を信じることが始まりなのです。小さな失敗をいっぱいして、乗り越える方法を考え、乗り越えるから自分を信じるようになります。

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