2011年6月30日木曜日
ライフスキルとゴールデンルール そして マイ・プロジェクト
働き方は生き方
仕事は人生と表裏一体だから働き方は生き方と表裏一体です。自分の代わりを誰かに頼めるわけではないので、自分の働き方は自分の仕事そのものになって表れます。だからみんなかたつむりみたいなものです。
仕事ができても人格、人生が破綻していたら何にもならない。
逆もそうだと思います。でも最近はそういう人が目立ちませんか?
ぐらつくのはライフスキルが危うくなっているからだとも言えます。
ライフスキルとは世界保健機構(WHO)が定めた、「人が健全かつ幸福に暮らすために必要なスキル」のこと。
ライフスキルを育むために欠かせないスタイル、つまり働き方、遊び方、生き方そのものである「ゴールデンルール」の具体的な実践方法を中心にご説明、提案したいと思います。
まずなぜゴールデンルールなのか。さらにライフスキルの基礎を形づくる積極的な自己表現(=アサーティブ)についても考えたいと思います。
ライフスキルとゴールデンルール
これまで説明してきたように、人間とは厄介でおもしろい生き物です。みんなそれぞれにライフスキルのありようが違い、それによって随分と違う人生を過ごしています。ライフスキルとは、生きる技術であり、生きる力です。
技術は使ってこそ価値があるもので、その構造や学術的なこととして知識を持っても意味がありませんせん。あなたが心理学者であるなら別ですが、一般のひとはライフスキルを学ぶために生きているのではありません。英語の学習と同じで知識として身につけるより、ツールとして使いこなせることが大事です。
それと同じ理由から、知るより使いこなすにフォーカスしています。そのためにマートワンとゲンキポリタンでは、課題(タスク)を設定して、クリアするプロセスを通じてライフスキルを育む方法をアプローチしています。そのツールがゴールデンルールであり、それは自分のスタイルを創造するものだと確信しています。
自分のスタイルを身につけてライフスキルを育む
マイプロジェクトで選ぶゴールデンルールは次の7つのなかから選びます。
それぞれのルールに、関連するライフスキルを記載しています。
●自分と周囲の人を尊重し励ます
コミュニケーションスキル (効果的コミュニケーション ・対人関係)
● プロセスに注目する
自己認識スキル(自己認識・共感性)
● 決めたことは責任をとる
意志決定スキル(意志決定・問題解決)
● できるまでやる
意志決定スキル(意志決定・問題解決)
● いまこの瞬間に集中する
意志決定スキル(意志決定・問題解決)
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
目標設定スキル(創造的思考・批判的思考)
● 感情的な行動をしない
ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処)
マイ・プロジェクト
マイ・プロジェクトとは、自分をプロジェクトすること。つまり人間には仕事する以前に、未解決な問題を抱えた存在であること。人それぞれに無意識の生きる構えを持っています。その生きる構えによって、解釈の違い、判断の違いがあり、対応、行動の違いが生じます。
ライフスキルが機能している状態なら、解釈、判断、対応、行動、コミュニケーションも機能させることができます。しかしライフスキルに不足があり、機能していない場合には、それらも機能しなくなります。
いくらビジネスに関する知識があっても、知識を機能させることはできなくなるのです。多くのトップやマネジャーと接して、仕事を十分に機能させることができない場面に遭遇してきましたが、問題になるのは個人が抱えた問題である場合がほとんどなのです。
よくあるご相談は、ビジネススキルを充分トレーニングしているのに、効果がでないというものです。
この場合、個人的な未解決な問題が影響しています。つまりスタイル、フォームが悪いのです。ようするにゴールデンルールができていない。「できるまでやる」ことができない。「感情的な行動をしない」ように進められないなどの問題です。
俗に性格の問題として片付けることが少なくありません。しかし本当にそうでしょうか?生き方の問題は仕事の行き方の問題となって表れているのです。そして一番苦しんでいるのは当の本人なのです。
この致命的な問題に、ぶつかって改善しようというのが、マイ・プロジェクトです。
結果(成果)には原因があります。原因になっているのは主にプロセスと環境。ここに個人的な要因が強く影響しています。個人の未解決の問題が知識や技術の修得、センスに影響を与えているのです。また目標の設定と取り組み方とはダイレクトに関わっています。
ここまでは目に見えることです。この水面下、見えない領域があって、目標の根拠になっている「目的」「価値観」があります。これら心の在り方は言葉にするのも容易ではありません。
2011年6月5日日曜日
本当のリーダーシップ
あるカフェでアルバイトとして入店したヒロシは飛びっきりのセンスを発揮していた。
なによりヒロシが際立っていたのはチーム力のセンスだ。
優れたセンスを見て取ったエリアマネジャーは、彼を正社員にして、他店のサブマネジャーに就かせた。
そして彼の仕事の動作をメモしていった。
エリアマネジャーは、自身の上司に書き留めたメモをもとに説明をした。さらに上司の目で直接観察してもらうために現場に呼んだ。二人の上司はさりげない訪問の形をとり、ヒロシの仕事を観察した。
彼らの目にもヒロシは生まれながらのリーダーのように見えた。
なにがヒロシを生まれながらのリーダーにしていたのだろうか?
エリアマネジャーとその上司二人は、感覚ではなく言葉に置き換えるために分析した。
一番目に、まずなによりも、ヒロシはどんな問題にも、どんなときにも、一歩先、二歩先を見ていた。ほかの店とは違って、資材が届くのを待ったことはなかった。いつも欲しい時にはすでに調達してあった。
後でインタビューしたときに分ったことだが、その段取りのよさの目的は仲間が働きやすい環境を作ることにあった。それはお客さまに不便をかけないための必須だった。彼には人間はみんな対等だという意識があり、それを現実にするためにどうしたらいいのかについて自分で考えた結論が「段取り」に集約されていた。
二番目に、ヒロシには自分がどうしたいかというビジョンがあり、それは正確に伝達されてあって、誰もが同じように理解していた。
ヒロシにはうまくできない原因は指示する者にあるという強い思いがあった。指示する場合には、できるかできないか、スキルの確認が先であり、スキルが不足していたなら補充してから指示しないと失敗はすでに決定的なのが当たり前だと知っていた。スキルかあってやる気の前提条件だと考えていた。誰に言っても同じように理解できない表現は表現そのものが間違いであり、指示する者の責任は明白だ。
三番目は、ヒロシ自身が流す汗に表われていた。
指示は過酷な場合がある。自らが汗を流さないと過酷に挑戦しようとしないのは当然だと考えていた。だから誰よりも汗を流すことを信念にしていたのだ。
四番目は、大局観があり、客観的に自分のことも客観的に知っていた。
店長にならないかと打診されたとき、ヒロシは言った、
「本当は、自分の手でやるほうが好きなんです。」
インタビューで分ったことだが「大局観」の出所は矛盾に対する認識の仕方にあった。「清濁併せ呑む」ということわざがある。広辞苑によれば善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。とある。度量の大きさを指すことも多い。矛盾を受け入れることは矛盾のまま押し付けてできることでない、それは暴力だとと熱く語る。
「清濁併せ呑む」のが優秀な社会人だと押し付けたとしたら、矛盾の強制でしかない。ヒロシに言わせると「清濁併せ呑む」とは、矛盾が解決された状態だと言う。矛盾を受け入れることは、それぞれの思考回路を通過してそれぞれに理解できた上での結論でしかないと語る。考え方の集積で矛盾は解決される、それはアートのように美しい円を描くという。
矛盾を解決して、円を描く求心力になるのが組織の目的だと言う。どのような組織にもその活動にはいろんな要素が絡んでいて因果関係がある。この因果関係が、あちら立てればこちらが立たずという現象の原因にある。
なぜそうなるのか、それは因果要因が目的と一致しない考え方があるからだと言う。もし因果要因のすべてが目的と一致していたら矛盾は解決される。一致していないから矛盾があり、それを解決するために矛盾を受け入れろという。なんとも乱暴な話だと言うのがヒロシの自論だ。
そうではなく、因果要因のひとつひとつがある方向に集中的に向いていたら、それぞれの要因は矛盾がなくなる、矛盾があるのはそれぞれの要因がバラバラの方向に向いているからだ。だから正しく機能するように因果要因のひとつひとつに正しい考えを浸透させて、つなぎ直していくことがリーダーの仕事だと自論を展開した。
なにをしたいのかという目的を持たないチームに矛盾が満ちているのは当たり前ですよと語った。
三人はリーダーシップとはなにかを思い知らされた気分になったという。
ヒロシは数ヶ月前まで、正社員につきたいばかりを考えてアルバイトにも就かずにいたフリーターだった。
なによりヒロシが際立っていたのはチーム力のセンスだ。
優れたセンスを見て取ったエリアマネジャーは、彼を正社員にして、他店のサブマネジャーに就かせた。
そして彼の仕事の動作をメモしていった。
エリアマネジャーは、自身の上司に書き留めたメモをもとに説明をした。さらに上司の目で直接観察してもらうために現場に呼んだ。二人の上司はさりげない訪問の形をとり、ヒロシの仕事を観察した。
彼らの目にもヒロシは生まれながらのリーダーのように見えた。
なにがヒロシを生まれながらのリーダーにしていたのだろうか?
エリアマネジャーとその上司二人は、感覚ではなく言葉に置き換えるために分析した。
一番目に、まずなによりも、ヒロシはどんな問題にも、どんなときにも、一歩先、二歩先を見ていた。ほかの店とは違って、資材が届くのを待ったことはなかった。いつも欲しい時にはすでに調達してあった。
後でインタビューしたときに分ったことだが、その段取りのよさの目的は仲間が働きやすい環境を作ることにあった。それはお客さまに不便をかけないための必須だった。彼には人間はみんな対等だという意識があり、それを現実にするためにどうしたらいいのかについて自分で考えた結論が「段取り」に集約されていた。
二番目に、ヒロシには自分がどうしたいかというビジョンがあり、それは正確に伝達されてあって、誰もが同じように理解していた。
ヒロシにはうまくできない原因は指示する者にあるという強い思いがあった。指示する場合には、できるかできないか、スキルの確認が先であり、スキルが不足していたなら補充してから指示しないと失敗はすでに決定的なのが当たり前だと知っていた。スキルかあってやる気の前提条件だと考えていた。誰に言っても同じように理解できない表現は表現そのものが間違いであり、指示する者の責任は明白だ。
三番目は、ヒロシ自身が流す汗に表われていた。
指示は過酷な場合がある。自らが汗を流さないと過酷に挑戦しようとしないのは当然だと考えていた。だから誰よりも汗を流すことを信念にしていたのだ。
四番目は、大局観があり、客観的に自分のことも客観的に知っていた。
店長にならないかと打診されたとき、ヒロシは言った、
「本当は、自分の手でやるほうが好きなんです。」
インタビューで分ったことだが「大局観」の出所は矛盾に対する認識の仕方にあった。「清濁併せ呑む」ということわざがある。広辞苑によれば善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。とある。度量の大きさを指すことも多い。矛盾を受け入れることは矛盾のまま押し付けてできることでない、それは暴力だとと熱く語る。
「清濁併せ呑む」のが優秀な社会人だと押し付けたとしたら、矛盾の強制でしかない。ヒロシに言わせると「清濁併せ呑む」とは、矛盾が解決された状態だと言う。矛盾を受け入れることは、それぞれの思考回路を通過してそれぞれに理解できた上での結論でしかないと語る。考え方の集積で矛盾は解決される、それはアートのように美しい円を描くという。
矛盾を解決して、円を描く求心力になるのが組織の目的だと言う。どのような組織にもその活動にはいろんな要素が絡んでいて因果関係がある。この因果関係が、あちら立てればこちらが立たずという現象の原因にある。
なぜそうなるのか、それは因果要因が目的と一致しない考え方があるからだと言う。もし因果要因のすべてが目的と一致していたら矛盾は解決される。一致していないから矛盾があり、それを解決するために矛盾を受け入れろという。なんとも乱暴な話だと言うのがヒロシの自論だ。
そうではなく、因果要因のひとつひとつがある方向に集中的に向いていたら、それぞれの要因は矛盾がなくなる、矛盾があるのはそれぞれの要因がバラバラの方向に向いているからだ。だから正しく機能するように因果要因のひとつひとつに正しい考えを浸透させて、つなぎ直していくことがリーダーの仕事だと自論を展開した。
なにをしたいのかという目的を持たないチームに矛盾が満ちているのは当たり前ですよと語った。
三人はリーダーシップとはなにかを思い知らされた気分になったという。
ヒロシは数ヶ月前まで、正社員につきたいばかりを考えてアルバイトにも就かずにいたフリーターだった。
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