2013年5月30日木曜日

ルールブックを手放す


人はそれぞれに自分の思いがあります。その思いの正体は「こうあるべき」という思い込みとも言えるルールです。自分のルールブックを持ってやはり自分のルールブックを持っている相手とコミュニケーションすると、必ずぶつかります。人間関係はこじれます。

しかし、コミュニケーションで大事なことは相手をやりこめることではありません。物事をよりよい状態に持って行くことと、相手を尊重するかどうかというのは、次元の違うことです。

このことが分かっていない人は、そもそもが分かっていないようです。つまり大局観が欠如しているので、なにが問題かがつかめないまま、問題解決に踏み込みます。

問題を複雑にするのは、自身は熱心なつもりなことです。しかし間違った努力は状態を混乱させるだけです。これが分からないので残念な結果になります。

残念な結果は自分でも分かっているので、他者の視線が気になります。ますます問題解決より、対人関係に於ける自分の立場(自己重要感)が気になります。結局自分の立場を優位にするためにますます人間関係をこじらせるので、孤立していきます。

孤立を避けるには群れるしかありませんので、群れを作ります。これで幸福な成功を手にすることはありません。そもそも自分のルールブックなど不要なのです。

あるとしたら人間に必要なルールは尊重と成長のためのルールだけなのです。


2013年5月13日月曜日

事業計画書には2種類ある。


事業計画書はスケジュールを決めて、1ヶ月後、半年後、1年後、3年後、という具合にそのスケジュールを書いていきますが、小学校の頃の学習計画表、年度ごとの予算表と同じでそのまま実現できることは少ないのが一般的です。

目標があって理想の一日を決める。その通り実行していけば収益もこの程度になるだろう、労働時間も半年後には縮小できて、別の事業も展開できるようになるという希望で終わります

書くことは自分の意識を知り、考えていることを明確にできるので、物事の位置づけができるようになります。その反面、書くことで満足してしまうこともあります。事業計画書は社内、銀行、仕入れ先、行政その他関係先との交渉に必要になりますが、それでも最終的にはスケジュール表に成り下がることがあります。書いたことで満足してしまっているからです。それでは意味がないのです。これはプレゼンしてもらうとすぐにわかります。

成功する人の本当の事業計画書、あるいは予算表も同じですが、結果が書いてあるものです。結果が書いてる事業計画書とは、これを書き込んだ段階で重要な仕事が完了している計画書です。だから結果が見える事業計画書と、まったく作業が進んでいない目標だけが書いてある事業計画書があるのです。

それは予測される問題点、リスクが洗いざらい書かれていて、その対策も具体的に書いてあります。しかし大事なことは、それだけではありません。予測される問題点、リスクが起こらないようにするために、どうしておくかということがイメージできるように具体的に書かれています。つまり2段構えになっているのです。しかも細かい点まで気配りがされています。大きな問題は滅多に起こりませんが、些細な危険は常に身近にあります。しかし時間が奪われストレスが意欲を削ぎ、結果を引き下げます。だから因果関係を考えて、事前に打てる手は因果関係の全部に打っているのです。それも結果にたどり着くために必須だからです。

ですから審査する者にすれば、書類選考だけで、事業計画の信憑性が見て取れるのです。
プレゼン段階での質疑応答では、さらに突っ込んだ質問、応答が可能になります。
しかし、まったく作業が進んでいない目標だけが書いてある事業計画書では、面接またはプレゼンの時に、質疑応答の時間を使って予測される問題点、リスクを初めて確認することになるので具体的な回答が乏しくなります。



さらに 成功する人の事業計画書 には願望が書かれています。年商1億円以上、休暇は1ヶ月以上、というものです。意志を明確にすることで実現の可能性を高めています。
実際の行動段階では繰り返しいつも検証しています。この種の人にとって事業計画書は自分の地図であって、きれいごとの予定表ではないのです。

クレドも同じです。



2013年5月9日木曜日

間違った努力をやめる方法


小売サービス業の成長を著しく阻害している要因は、計画経営、効率経営、成果主義の取り扱い方、そしてこれらを機能させるマネジメント手法が正しく使われない点と、マネジメントの核であるPDCAを効率的にする科学的アプローチである観察〜分析~判断する能力を、現場管理職が使えない状態にあることです。さらに部門別管理の実績で現場管理職の評価が行なわれる点も重要です。

言い換えればこれらが機能していると阻害要因の多くは撤去されることになります。これらが機能しない原因は、その必要を感じて採用しないことにありますが、その背景には組織の背骨である責任と義務の遂行が正しく行われていないことにあります。

責任と義務の遂行が正しく行われていない理由は部門別管理に於ける評価が我流で行われる点にあると言えます。

結局、これらが正しく運用されないために、人材が育たないという問題を生み出してしまいます。つまり仕事のやり方が混乱しているために、努力にふさわしい評価、努力をしたくなる仕組み、努力できる能力が身につかなくなってしまうのです。しかし現実には努力しているために状況はさらに酷いものになってしまいます。つまり間違った努力が報われないまま努力を続けることで疲弊してしまい、見せかけの勤勉に終始してしまうのです。

これは会社にとって大きな損失ですが、働く個人にとっても、大きな損失なのです。

これらを是正するには、まず計画経営、効率経営、成果主義の取り扱い方、そしてこれらを機能させるマネジメント手法、PDCAを効率的にする科学的アプローチである観察〜分析~判断する能力のトレーニング、部門別管理と現場管理職の評価、評価の基礎になる責任と義務の正しい認識を正常化することです。



2013年3月12日火曜日

プロセスへの共感


褒められてうれしくない人はいないと思います。
褒められたことをまたやってやろうと思うもので殆どは今後もそのまま再現できることでしょう。

喜びというエネルギーは使えば使うほど大きくなるので、使わない手はありません。但し結果について褒めるのはおすすめではありません。

褒めてあげるならプロセスを、さらに言うなら上から目線になってしまう褒めるではなく、共感してあげるようにします。「褒める」のは意識さえすれば簡単に行えます。特に結果を褒める場合は結果さえみれば可能です。例えば数値がそうです。


しかし、プロセスに共感しようとすると、プロセスでの行動、意識の在り方への関心がないと共感できません。つまり人物に焦点をあてないと分かりません。だから共感された方は自分のことを見ていてくれているという信頼感が芽生えます。「結果を褒める」場合は「口だけ」だろうという不信感が伴ってしまいますが、プロセスへの共感にはこれがありません。

【プロセスへの共感】
「こういう結果が出たのは、君が日頃からホスピタリティを実行してきたからだよ。」

【結果をほめる】
「素晴らしい結果だね。よく頑張ったね」


違うでしょう。プロセスの共感の場合は再現性が簡単だし、一緒にいてくれている信頼感が生まれます。
仕事でも、家庭でも、子育てでも同じです。




2013年2月25日月曜日

自分を観察する力



グローバルな社会になり、ソーシャルネットワークが進化し、昔出来なかったことが、簡単にできるようになったボーダーレスな世界になるほど、私たちは、平素、日常の生活のなかでは自分以外の外の世界に注意をくばることに忙しく、深く自分をみつめるヒマがありません。

周囲にばかり気をとられていると、自分を見うしないがちになり、自分自身に気がつかなくなります。すると自分のために、他を責めたり、他を悪いものだと決めつけ、その結果、他を変えようとしたがるものです。

これからはあらゆる分野でホンモノが要求される時代になってゆきます。

ほんとうの自分を知ることを確実にするということが、なによりも大切だと認めるのにためらってはならないと思います。社会生活をいとなむ人間として、自分の行動様式や感じかたを自覚できない人聞は、魅力のない存在となります。


人聞は自分を客観視できるときにだけ自分という存在を意識します。自分を客観的に観察して、深く自分を知ることが自己改造の第一歩となるでしょう。





2012年12月8日土曜日

【本気の力】判断、決断、選択

判断と決断は似ているようだが違う。

判断は論理的に考えて結論を出すが、決断はこれで後悔しないと決めて退路を断つことだ。英語のコミットメントに近い。

論理的に考える点に「選択の基準」という魔物が潜んでいる。 

選択と集中というが、選択の基準はひとりひとり違う。
論理的に考えるというが論理の向こうには五感で育んだ人間関係の構えと独自の人生観がある。これに支配された上での論理だから実際は論理の仮面をかぶった感情に近い。
だから話が噛み合わない。どういえばこいつには分かるのかと思っても論理で説明ができない。 説明できないのではなく感情に阻まれて通用しないのだ。

言い方を変えると実際には分かっているが認めたら自分が崩壊するのが怖くて拒否しているのだ。あるいは自分が求めている感情体験がある。こんなものにつきあっていたら会社は潰れるし、意欲のある人間は離れて行く。

仕事であれ、恋愛であれ、何事も結果は人間の鏡なのだ。
結果を変えるには行動を変えるしかなく、行動を変えるには選択を変えるしかなく、選択を変えるには選択の基準を変えるしかなく、選択の基準を変えるとは人間を変えることなのだ。


2012年11月30日金曜日

価値前提の経営、事実前提の経営


価値前提の経営と、事実前提の経営があります。
「価値前提」「事実前提」どちらもあまり耳慣れない言葉ですが、いい経営をしている会社に共通したスタイルが「価値前提の経営」です。

「価値前提」の反対が「事実前提」です。

Microsoftのビル・ゲイツはまだ学生だったときに、開発もしていないコンピュータソフトを納品する約束したことからビル・ゲイツの成功物語は始まります。その段階でコンピュータがどれなのかさえビル・ゲイツには分かっていなかったのです。

販促チラシに書いたコメントが、事実を曖昧に伝えているとしたら、あなたはどうしますか?お客さんのクレームを恐れて、訴求力が弱まることがあったとしても、事実に忠実で正確な文面に書き直しますか?

価値前提とは、たとえば顧客満足という価値観を実現するための経営。
事実前提とは、すでに出た結果を前提にしたもの、たとえば自社での実績を前提に選択する、あるいは業界の実績を前提にして選択する経営。

ビル・ゲイツはコンピュータを知らなくても、お客さんを満足させればすべてはうまく行くと考えたでしょう。あなたが販促チラシに向かいあったとき、どうだったでしょうか?クレームを恐れてお客様を満足させることを忘れていませんでしたか?文面が事実通りだと満足すると考えませんでしたか?嘘をついても良いというわけではなく、気にならないほどの感動を提供しようということなのです。それを提供するには、お客様に参画してもらうことが必要なのです。

挫折を乗り越えて邁進していく人は、価値前提の経営に取り組みます。
挫折を嫌い、ないものねだりをする人は事実前提の経営に取り組みます。一見、事実前提の経営は合理的で科学的なように思えるかも知れませんが、事実はひとりひとり違うものです。うまくいかなった原因がなにか、反省しない人には事実前提の経営は都合がいいでしょう。なにより結果の違いは価値観の違いによる行動の違いによるものが大半なのです。

行動は精神状態の結果であり、挫折を失敗ととらえず、挫折はひとつの結果にすぎず、挫折の連続が成功であるという考えに則ったものが、価値前提の経営に見られます。事実前提の経営にはこれが見られません。「やってみたけど、しかしダメだった。」これを事実として認識していたら、ほとんどのことはできません。

挫折を失敗ととらえる原因に、一定期間中に挫折が成功に届かないことがあります。どうしていいのか分からず考えている間に時間切れになってしまうからです。法人なら決算しなければならず、期限内に利益を出さないと赤字になってしまいます。そうしないようにするには、PDCAを繰り返し期間中に利益を出すようにしなければなりません。しかし挫折こそ成功の扉なのです。「どこが間違っているのか」を最小単位で追求することが基本なのです。分刻み、時間刻み、週単位、旬間単位、月単位、人によって、会社によって、違いますが、期限内に時間切れにならずにしょうとすれば自ずと答えは出るはずです。

もし、時間切れであきらめるということを繰り返していたら、成長がないことは明白です。本来「認識」とは、クリエイティブなことです。自分の能力を引き出すために自分なりの自由の解釈があってもいいのです。

ところがこれを「自分の能力を引き出すために」を切り離して、「自分なりの自由の解釈があってもいい」だけが一人歩きしたら、まったく無意味になってしまいます。それも一見自由なようですが、実際は枠に囚われた状態なのです。

たとえば人生とは何か、あなたはどう例えますか
人生とは戦いだという人もいるでしょう。
人生とはゲームだと言う人もいるでしょう。
人生とはダンスだと言う人もいるでしょう。
あなたは自分の認識でたとえたらいいのです。
それにしても、「人生とは戦いだという人」にとっては毎日は大変疲れることでしょう。
「人生とはダンスだと言う人」にとってはは、毎日は楽しいことでしょう。

物事が暗く見えるとき、冬の季節と言う人がいます。
春は楽しいイメージがありますが、冬と言うたとえには凍りつく、暗いイメージが浸透しています。実際には スノーボード 、スキー、スケート、雪景色を楽しむ人もたくさんいます。この人たちにとって、冬は一年で一番楽しい時なのです。スターバックスは、一般に衰退の一途と認識されている業界に乗り込んで、自分たちのやり方でお客様に感動を与えて大成功した会社です。なぜスターバックスにはそれができたのでしょう?認識が違ったからです。

枠に囚われた状態とは、他人の先入観に疑いもなく受け入れて囚われた状態です。なぜ、「自分なりの自由の解釈」と思ったことが、実際は枠に囚われた状態なのでしょう。一見「自由」に見えても、「自分の能力はこんなもの」という諦めが働いているからです。ある状況を「障害」と認識すると脳は実際にそういう状況を創り出し、行動は精神状態の結果であることを現実にします。これこそ「事実前提の経営」の落とし穴なのです。

自分の能力を効率的に最良の方法で引き出すには、脳を有効に使わなければいけません。状況は同じでもチャンスと認識すれば、自分の脳はそのように動きます。同じことは過去の経験にも言えます。経験そのものに意味はありません。経験に意味はづけをしているのは、自分なのです。状況の意味が変われば精神状態も変わり、一瞬にして行動も変わります。

枠を取り払うことが働く意味でもあるのです。それにはまず他人が行った比喩を、盲目的に受け入れるのではなく、自分の価値観で再定義してから比喩することが大切です。たとえばあなたの身近な人が亡くなった場合、どう対処するでしょうか?一般に悲しむことがあるべき姿と思い込んでいますが、悲しまないのを普通だとしている国もあります。

遠いどこかの話ではありません。それはあなたの質問次第です。
「体力も知力も衰えて不自由だったのに、天国デビューできて自由になって喜んでいるかな」と質問するのと、「この先も思い通りのならない心身で生きていけたのに可哀想ではないだろうか」 と質問するのではどうでしょう?成功者に共通しているのは最適な状況判断ができることです。