判断と決断は似ているようだが違う。
判断は論理的に考えて結論を出すが、決断はこれで後悔しないと決めて退路を断つことだ。英語のコミットメントに近い。
論理的に考える点に「選択の基準」という魔物が潜んでいる。
選択と集中というが、選択の基準はひとりひとり違う。
論理的に考えるというが論理の向こうには五感で育んだ人間関係の構えと独自の人生観がある。これに支配された上での論理だから実際は論理の仮面をかぶった感情に近い。
だから話が噛み合わない。どういえばこいつには分かるのかと思っても論理で説明ができない。
説明できないのではなく感情に阻まれて通用しないのだ。
言い方を変えると実際には分かっているが認めたら自分が崩壊するのが怖くて拒否しているのだ。あるいは自分が求めている感情体験がある。こんなものにつきあっていたら会社は潰れるし、意欲のある人間は離れて行く。
仕事であれ、恋愛であれ、何事も結果は人間の鏡なのだ。
結果を変えるには行動を変えるしかなく、行動を変えるには選択を変えるしかなく、選択を変えるには選択の基準を変えるしかなく、選択の基準を変えるとは人間を変えることなのだ。
2012年12月8日土曜日
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