2012年11月30日金曜日

価値前提の経営、事実前提の経営


価値前提の経営と、事実前提の経営があります。
「価値前提」「事実前提」どちらもあまり耳慣れない言葉ですが、いい経営をしている会社に共通したスタイルが「価値前提の経営」です。

「価値前提」の反対が「事実前提」です。

Microsoftのビル・ゲイツはまだ学生だったときに、開発もしていないコンピュータソフトを納品する約束したことからビル・ゲイツの成功物語は始まります。その段階でコンピュータがどれなのかさえビル・ゲイツには分かっていなかったのです。

販促チラシに書いたコメントが、事実を曖昧に伝えているとしたら、あなたはどうしますか?お客さんのクレームを恐れて、訴求力が弱まることがあったとしても、事実に忠実で正確な文面に書き直しますか?

価値前提とは、たとえば顧客満足という価値観を実現するための経営。
事実前提とは、すでに出た結果を前提にしたもの、たとえば自社での実績を前提に選択する、あるいは業界の実績を前提にして選択する経営。

ビル・ゲイツはコンピュータを知らなくても、お客さんを満足させればすべてはうまく行くと考えたでしょう。あなたが販促チラシに向かいあったとき、どうだったでしょうか?クレームを恐れてお客様を満足させることを忘れていませんでしたか?文面が事実通りだと満足すると考えませんでしたか?嘘をついても良いというわけではなく、気にならないほどの感動を提供しようということなのです。それを提供するには、お客様に参画してもらうことが必要なのです。

挫折を乗り越えて邁進していく人は、価値前提の経営に取り組みます。
挫折を嫌い、ないものねだりをする人は事実前提の経営に取り組みます。一見、事実前提の経営は合理的で科学的なように思えるかも知れませんが、事実はひとりひとり違うものです。うまくいかなった原因がなにか、反省しない人には事実前提の経営は都合がいいでしょう。なにより結果の違いは価値観の違いによる行動の違いによるものが大半なのです。

行動は精神状態の結果であり、挫折を失敗ととらえず、挫折はひとつの結果にすぎず、挫折の連続が成功であるという考えに則ったものが、価値前提の経営に見られます。事実前提の経営にはこれが見られません。「やってみたけど、しかしダメだった。」これを事実として認識していたら、ほとんどのことはできません。

挫折を失敗ととらえる原因に、一定期間中に挫折が成功に届かないことがあります。どうしていいのか分からず考えている間に時間切れになってしまうからです。法人なら決算しなければならず、期限内に利益を出さないと赤字になってしまいます。そうしないようにするには、PDCAを繰り返し期間中に利益を出すようにしなければなりません。しかし挫折こそ成功の扉なのです。「どこが間違っているのか」を最小単位で追求することが基本なのです。分刻み、時間刻み、週単位、旬間単位、月単位、人によって、会社によって、違いますが、期限内に時間切れにならずにしょうとすれば自ずと答えは出るはずです。

もし、時間切れであきらめるということを繰り返していたら、成長がないことは明白です。本来「認識」とは、クリエイティブなことです。自分の能力を引き出すために自分なりの自由の解釈があってもいいのです。

ところがこれを「自分の能力を引き出すために」を切り離して、「自分なりの自由の解釈があってもいい」だけが一人歩きしたら、まったく無意味になってしまいます。それも一見自由なようですが、実際は枠に囚われた状態なのです。

たとえば人生とは何か、あなたはどう例えますか
人生とは戦いだという人もいるでしょう。
人生とはゲームだと言う人もいるでしょう。
人生とはダンスだと言う人もいるでしょう。
あなたは自分の認識でたとえたらいいのです。
それにしても、「人生とは戦いだという人」にとっては毎日は大変疲れることでしょう。
「人生とはダンスだと言う人」にとってはは、毎日は楽しいことでしょう。

物事が暗く見えるとき、冬の季節と言う人がいます。
春は楽しいイメージがありますが、冬と言うたとえには凍りつく、暗いイメージが浸透しています。実際には スノーボード 、スキー、スケート、雪景色を楽しむ人もたくさんいます。この人たちにとって、冬は一年で一番楽しい時なのです。スターバックスは、一般に衰退の一途と認識されている業界に乗り込んで、自分たちのやり方でお客様に感動を与えて大成功した会社です。なぜスターバックスにはそれができたのでしょう?認識が違ったからです。

枠に囚われた状態とは、他人の先入観に疑いもなく受け入れて囚われた状態です。なぜ、「自分なりの自由の解釈」と思ったことが、実際は枠に囚われた状態なのでしょう。一見「自由」に見えても、「自分の能力はこんなもの」という諦めが働いているからです。ある状況を「障害」と認識すると脳は実際にそういう状況を創り出し、行動は精神状態の結果であることを現実にします。これこそ「事実前提の経営」の落とし穴なのです。

自分の能力を効率的に最良の方法で引き出すには、脳を有効に使わなければいけません。状況は同じでもチャンスと認識すれば、自分の脳はそのように動きます。同じことは過去の経験にも言えます。経験そのものに意味はありません。経験に意味はづけをしているのは、自分なのです。状況の意味が変われば精神状態も変わり、一瞬にして行動も変わります。

枠を取り払うことが働く意味でもあるのです。それにはまず他人が行った比喩を、盲目的に受け入れるのではなく、自分の価値観で再定義してから比喩することが大切です。たとえばあなたの身近な人が亡くなった場合、どう対処するでしょうか?一般に悲しむことがあるべき姿と思い込んでいますが、悲しまないのを普通だとしている国もあります。

遠いどこかの話ではありません。それはあなたの質問次第です。
「体力も知力も衰えて不自由だったのに、天国デビューできて自由になって喜んでいるかな」と質問するのと、「この先も思い通りのならない心身で生きていけたのに可哀想ではないだろうか」 と質問するのではどうでしょう?成功者に共通しているのは最適な状況判断ができることです。